カリス姫の夏
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野球観戦が目的で作られたドームは4万人以上のお客さんを収容できるが、今日は大人気アイドルグループのコンサートでチケットは即日完売だったと聞いている。
そりゃ、スタジアムは大熱狂でしょうが、同じ建物の中とはいえ端の端に位置するこの救護室は別世界。
病院の外来にあるような診察台、ベット、パイプ椅子3台、折りたたみテーブルがあるだけのガランとした部屋に私は華子さんと向かい合って座っていた。その部屋に私達以外の人はいず、2人の間にはしらーとした空気が漂った。
「なによ。
あたしに、だまされたとか思ってんじゃないでしょうね」
裁判なら有罪確定の華子さんは、開き直り逆ギレした。
「いえ、だまされたなんて思ってません。
ちぃぃーーっとも。
こんなことじゃないかと、予測しておりました」
私はゆっくりと目を閉じ、悟(さと)りを開いたお坊さんのような表情と口調で答えた。
そう、予感はあった。あの華子さんがそんなおいしい話を私に持ってくるわけがないと。
そりゃあ、今日の華子さんの仕事が、コンサートでの救護室待機で、私が留守番役に呼び出されたとまでは予測できなかったが……
「なんて、顔してるの?
気持ち悪いね」
と、華子さんは他人事みたいに言い捨てる。
「華子さん、幸運でしたね。
私はこの数週間でずいぶん、大人になったんです。
華子さんとお仕事させていただいたおかげです」
人間はダメな人と一緒にいた方が成長するのだとしみじみ思う。そういう意味では華子さんに感謝しなければ……と思えるのがそもそも私の成長なのかも。
もっとも、感謝しているのはそれだけが理由ではない。ここで、華子さんの理不尽を恨んでいる間は、藍人くんの事を悩まなくてすむ。私は昨夜、藍人くんの手書きの紙を開いては閉じるを繰り返し、結局アドレスを打ち込むことさえ出来なかった。遅くなればなるほど返事しにくくなると分かっているのに。
「まっ、分かればいいのよ」
と、なにを勘違いしたのか華子さんは満足げに身体を揺らし、テーブルの上に置かれた紙コップに口をつけた。
「子リスもさ、暇ならそこら辺、見て来ていいよ。
座席までは行けないけど、グッズ売り場までは入れるし」
華子さんはアゴでドアを差した。会場側に通じるドアだ。
「いいんですか?
留守番は?」
「救護室はね、もう一つ南ゲートに第一ってのがあって、そっちは医者もいるのさ。
だから、体調悪くなったり、ケガした客は大抵、真っ直ぐそっちに行くのよ。
こっちはよっぽど軽症の人とか、どうしても向こうがダメな時の予備だから、まっ、ほとんど人が運ばれる事はないの。
仕事としては楽なもんよ。
後で私もトイレ行くから、その時ちょっと留守番しててくれたらいいだけだから」