カリス姫の夏
「うん、じゃあ、またね。
今日は本当にありがとう」
その場にいたたまれず、無礼を承知で先に別れを告げる。右手を顔の横に上げ、ピリオドを打とうとした。
そんな私の手を見て藍人くんは驚いたように目を見開き、すぐさま私の指先を掴んで引き寄せた。予想外のアクションに対応できず、私はされるがままに手を差し出す。
「莉栖花さん、どうしたんですか?
血が……
血が出てる」
気付かなかった。藍人くんに掴まれた右手の手首に線状に血のかたまりが付いている。タマミさんとの格闘でついた名誉の傷か、薔薇の棘がつけたお仕置きかは自分でも分からない。
「あー、これね。
いつ、怪我したんだろ。
でも、大丈夫よ。
もう血止まってるし。
華子さんだったらなめたら治るって、怪我とも認識してくれないよ、こんなの。
看護師のくせにひどいよね」
腕を引っ込め、その傷をまじまじと見た。手を握られる気恥ずかしさの方が耐えられない。苦笑いを浮かべ視線を藍人くんに移動させると、彼の手にはサビオが。
そのサビオが私の傷を覆い隠す。
注意深く私の傷に触れないようにする藍人くんの爪の先が触れただけで、彼の気持ちが伝染し全身を蝕(むしば)む。痛みなんてとっくに感じていなかったかすり傷が、熱を持ったようにジンジンと痺れた。指先まで血液が脈打ち流れている。
「消毒あればいいんだけど。
でも、他にも傷いっぱいついてますね。
どうしたんですか?」
藍人くんは、私の腕を見つめた。
前髪のすき間からのぞく瞳が、優しい光を放っている。
サビオで保護された傷の痺れは胸元に伝染(ウツ)り、焼けるように熱くなった。その熱に息苦しくなる。耐えられない。
「ねえ……藍人くん」
藍人くんは、私のかすれる声に顔を上げた。わがままでバカな少女は、自分の感情を持て余している。苦しくて……苦しくて……その息苦しさから逃れようと、毒を吐いた。
「なんで……
なんで、そんなになんでも許しちゃうのよ。
なんで、優しくするのよ」
複雑な感情の交錯(こうさく)に、自分をコントロールできない。感情をぶつけるということが、最低の手段だと分かっているのに。
「バカじゃないの。
そんなヘラヘラ笑って。
こんなヒドい事されたのに優しくして。
もっとさ、怒ればいいじゃない。
呆れて、お前なんか知らないって私の前からさっさと消えればいいじゃない!!」
複雑な感情は、怒りで終着した。一番分かりやすく、手っ取り早かったからだろうか。
何に対しての怒りなの?
しいて言うなら愚かな自分自身に対して。
なのになぜだか、その矛先(ほこさき)目の前の罪もない少年にぶつけてしまう。