カリス姫の夏

病院内の全ての動きが止まった。


ふと気がつくと、中年男女の掛け合い漫才のような口論を、暇を持て余した患者はもちろん、忙しいはずの職員達も足を止め聞き入っていた。

しかし数秒後、一時停止を解いたように「なーんだ」と言わんばかりに通常の動きに戻っていった。



「将司って……亀……なんですか?」

私の疑問が口から出るのを待ち切れず、藍人くんが尋ねた。


「うん、そう。
俗に言うミドリ亀ってやつ。
ほら、縁日の亀すくいとかに出てるやつ」
と、華子さんは言う。


「えっ……えぇっと、華子さんがその亀を預かって?」


「亀って言うな、将司だ!!」

女子高生の純粋な言葉を、社会的地位もある大人の男性は本気で怒った。


「ごめんなさい。
将司……さん?
将司さんを華子さんが川に放しちゃったんですか?」


「だからさー、自分から入って行ったんだって。
あたしもすぐ捜したのよ。
ホント、ホント。

でも、見たらもういなくって……で、そのまま行方不明」


「見つかっても冷たい身体になってたんでしょうね。
変温動物ですから」

ハハハハハッと乾いた笑いをオプションに付けた藍人くんの捨て身のギャグは、大人げない大人達の心には届かなかった。

大人達の冷たい視線から守ってあげたくて入れた私の高笑いが、虚しく響いた。

気まずい空気が流れる。


「とにかく、このことだけは一生忘れない。
絶対にお前のことは許さないからな」


「はい、はい。
ご自由にどうぞ。
私は痛くもかゆくもないね。

ほら、こんなとこで油売ってていいのかい。
新人ナースがあんたの指示待ってるよ。
じゃ、またね。
お土産は甲羅揚げせんべいにでもしようかねー」


へらへらと笑いながら、華子さんは歩き出した。その背中に総一郎さんは吐き捨てるように言った。


「おい、華子。
ここの病院の外来で来週から2カ月間、産休に入る看護師がいるんだ。
お前、働く気があるなら紹介するぞ。
お前の事は大嫌いだけど、一応同級生だしな」


総一郎師長の声に振り向きもせず、華子さんは顔の横でバイバイと手を振った。


でも斜め横にいた私は、華子さんの口角が上がり一瞬だけ三日月にキュッと変化したのを見逃せなかった。



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