お兄ちゃんができました。
物ごころついてから早数十年。

私は親以外に自分の名前を呼ばれた記憶がない。

呼ばれたことがあるのはただ一つ。

“さだこ”。これだ。

人見知りで、人の視線を必要以上に恐れていた幼き日。

私は、お母さんの言葉も聞かずずっと前髪を伸ばし続けていた。

その結果、どこからそんな言葉を覚えたのか。

幼稚園の問題児の男子が、ある日突然指を指して「さだこ」と呼びだしてからと言うもの、幼稚園での私の名前はさだことなった。

……まぁ、こう呼ばれる前にも幽霊やらなんやら言われてまともに名前なんて呼ばれたことなかったんだけども。

それから、私が「さだこって呼んで!」とか言っても無いのに、何故かこのあだ名は今の今まで私の後をついて回ってきた。

もう半分諦めてたのに、まさか“ハル”なんて可愛いあだ名がつくなんて……!!

感動以外に何をしろと?

嬉しすぎて涙目の私に志月くんはぎょっとして、慌てたように私の顔を覗き込む。



「は、ハル? どうした? このあだ名嫌だったか?」

「いや、嬉しくて……。まさか、こんな可愛いあだ名で呼んでもらえるなんて、全然思わなかったから……」



多分、志月くんは何も考えずに私のことをハルって呼んでくれたんだろう。

陽花でハル。

普通なそのあだ名も、私からしてみればとっても嬉しいプレゼントだ。

涙ぐむ私を、志月くんは困惑したように見下ろす。

そんな私たちを見かねて、いつの間にやらこちらを見ていたお母さんが深いため息をつくと私の頭を乱暴に撫でた。




「志月くん。気にしないで。この子、今までろくなあだ名で呼ばれたことなかったから……。ちょっと感覚がおかしいのよ」

「……」




ねぇ、それフォローしてるの? それとも貶してるの? ねぇ、マイマザー?

鳥の巣状態になった私の頭を未だにかきまわし続けるお母さんの手から逃れようと必死になるけど、逃げるたびにお母さんの手がおってくる。

……何。この人。私の頭をどうしたの?

鳥の巣以外に何にしたいの?






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