思色(おもいいろ)
岐莎(きしゃ)という世界

李亜

杜矢くんが、私の頭に手をかざして
何か唱え始めると
それまで、暑さや寒さを感じなかった私の体が
ふわっとあったかくなった。

そして、急激に頭からつま先までぎゅっと押し込まれるような感覚があって
狭いところから、抜け出たような開放感を得た時には

辺りの様子が変わってた。

がやがやと、人の声がすぐ近くで聞こえる。
建物の影になっている私の今いる場所は
どうやら、その人声がたくさんするところから
脇道にそれたところのようだ。



「!服が…」

それまで来てた、縞模様の病衣じゃなくて
その世界で通用する服ってことなんだろうか。
浴衣のような着物のような。
前で合わせてあって、太めの柔らかい帯みたいなのがしてある。

でも少し薄手で透ける生地で、さらっとしてる。色は紫色。
もう一枚、下に黒いキャミソールの長いのを着てる。
靴は、サンダルとも草履とも言えないような
なんの飾りもない、ぺたんこの履き物。

これで大丈夫なのだろうか。
みんな、こんな感じなのかな。

私を知っている人が誰もいないって
なんて不安なんだろう。

違う。
誰もいなくなんかない。

この世界の何処かに
神楽という人がいるんだ。
さっき会った、杜矢くんが。


建物の影に隠れつつ、あたしはそぉっと
人声のする方へ歩いてく。

通りを見てみると、そこは市場の真っ只中みたいで
私が顔を出していることなんて、誰1人気づいている様子もない。
活気に溢れて、売り子や物を買い求める人の大きな声が飛び交ってる。


ここは、かなり古い街並みみたい。

よく、昔の映画とかで出てくるような
江戸時代の町並みに似てる。
でも、ちょっとテレビで見ていたそれよりも違うところがある。

男の人は、ちょんまげの人やら、短い人やら、長い人もいるけど

女の人は、みんな緩くアップにしてかんざしをさしてる人が多い。
そして、みんなおんなじような赤や緑の薄手の着物をきている。

男の人も着物だけど、こちらは模様が全くなくて紺か茶色が圧倒的に多い。


昔の日本の文化に
アジアな文化が混じった感じというか…
少し派手さが混じったような。
そもそもここ、日本ですらないのかな。

でも、話している言葉はわかる。

そのまま通りに出てみると、
木造りの家が連なっていて、たくさんの人の行き来がある。


お店もたくさん出ていて、酒屋さんや、八百屋さん、おかずを売ってるお店なんかがひしめき合ってる。

なんだか、久々に
生きている、って実感した。

退屈だったもんね、毎日同じ景色で。


そんな風に、きょろきょろして歩いていたもんだから、早速あたしは前から来る人に全く気づかなくて、正面から勢い良くぶつかってしまった。

「きゃっ」
「うわっ」
ぶつかった拍子に、飛ばされて地面に転がる。


向こうも急いでいたみたいで、
「すまん、急いでるので失礼する!」
と言い残し、駆け出して行ってしまった。

謝る暇もなかった。
周りの人に助け起こされて、お礼を言い終えると
足元に何か触れる感触がある。


「…あれ、これ…落し物かな…」

みると、男の人が小さな袋を落として行っていた。

手のひらに収まる程度の、お守り袋みたいな袋。
中には

「指輪だ…」
この時代にこんなのあるのだろうか。
赤い石がはまった銀色の指輪が入っている。


どうしよう、これ、交番とかに届けた方がいいんだよね。

でも、交番がどこにあるかわからない。
そもそも、この時代って、交番てなんて呼んでるの?


指輪を袋に戻し、どうしようか悩んでいると、
男が来た方向から、もう1人走ってくる人物が見えた。

「返して!あたしの荷物!」

薄い黄色の着物を着た、綺麗な人。
ものすごく焦ってる。
「ねぇ、この辺で男が転びませんでした!?だれか、私の荷物知りませんか?
盗まれたんです!」

みんな、口々に知らないわ、知らないよ、と去って行く。

もしかして、これも、
この人のものなのかしら。

わたしは、その人に駆け寄った。

「あの」

険しい顔で振り向いたその女性は
なんなのよ!と噛みつかんばかりだった。

「違っていたらごめんなさい。
これ、あなたの大事なものですか?」

私は、手のひらにさっきの袋を出した。



女の人の目に、みるみるうちに涙が溜まって行く。
「これ、これです…
よかった…」
そう言って、小袋を握って胸に抱きしめ、膝からガクッと崩れ落ちた。
そして、声をあげて泣きはじめた。


私はそのままにしておけなくて、女の人を支えて、そばにあったお茶屋さんの軒先を貸してもらって、しばらく背中を撫でた。


しばらく泣いてから、少しずつ喋れるようになると
指輪について、話し始めた。


あの指輪は、お母さんの形見だったそうだ。
まだお母さんは亡くなってから日が浅くて、それまで二人暮らしだった彼女は、少ない荷物をまとめて、住んでた家を売って、この栄えた街へ出てきたという。

自分一人で生きて行かなきゃならないから、何処かに頼って、住み込みでもなんでもするつもり。
そう話した瞳には、強い決意が宿っていて
何か協力出来たらいいなって、思わずにはいられなかった。


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