あなたから、kiss
一見、華やかな職場と思われがちだけれど、勤務時間が決まっているようでいない、地道で残業だらけのハードな仕事内容に…
辞めてしまう人も少なくはない。
「雨宮くーん、こっちの印刷機、マスター補充お願い!」
「はーい。」
「雨宮くん、ちょっと…。英語の訳、これで合ってる?」
「…んー……、大体合ってます。」
「大体ってなんだよ?」
「直訳し過ぎッスよ。センスの問題ですね。例えば――…」
こういった細かい業務を、文句の一つも言わずに黙々とこなしていく、器用で頼れる雨宮くんのようなバイトは…
重宝される。
「花さん、コピー終わりました。」
「ありがとう、じゃあそれをミーティングルームに――…」
「ハイ、そうだろうと思ってもう並べて置きました。」
いやはや、この勘と手際の良さは…、見上げたものである。
「そう、ありがとう。」
ただの大学生の、この若造は…、会社に必要な逸材となりつつあった。
ふわりと、目の前に―…
柔らかそうな黒髪から覗かせる、二重の…瞳。
「…………!な、ナニ…?」
「お礼してくれるなら、せめて目を見て言って下さい。」
さほど大きくはないけれど。
涼しげで妖艶な瞳は…
時折こうやって、まるで射抜くようにして…
私を咎める。
「………。どうもアリガトウゴザイマス。」
負けたくないから。
私も…じっと、彼を見つめ返す。
― 近いのよ、距離が――…。 ―
隣のデスクのタカちゃんが、また、服を匂っているのが…視界の端に映って。
つい、笑いそうになる。
「いえ、どういたしまして。…花さん…、」
「まだ何か?」
「青筋立ってますよ?すみません、ナマ言って。」
「え。……は?違っ……」
これは、笑いを必死にに堪えた結果で…
決して怒ってるとかじゃあないのに!
「花。いくら雨宮がデキるからって…バイトいびってんじゃねーぞ?」
オニ編集長の…、サド!!何も追い討ちかけなくたっていいじゃあないか。
だけど…、ここで言い訳したって、何の得にもならないってことは…、十分心得ている。
他人が受ける私の印象に、変化をもたらすとはは――…考えづらい。
「若くてお肌が余りに綺麗だから…、つい苛めたくなるのよ。」
ついつい、そう可愛いげのない発言をすると…。
周囲からブーイングの声が上がった。
「花さん、ひがみに聞こえますよ?」
「こえーよ、花。」
しまいには、タカちゃんまでもが……
「先輩、セクハラって言われますよ?」
言われ放題もいい所。
だからって…、落ち込みなどしない。
朝夜関係ナシに、頭を付き合わせているこの人たちとは…半ば家族のようで。
なんの悪気のない発言だって、わかっているから。
雨宮くんは、ちょん、と指先で私のコメカミに触れると…。
「……。確かにココは青筋立ってましたけど、笑窪出てて…可愛いかったですよ。」
サラリとそう言って、瞳を三日月の形に…細めた。
「………は?」
「今のは、逆セクハラです。これでおあいこでしょう?」
「…………。」
「あ。編集長、コーヒーでしたっけ?今入れて来ます。」
何事もなかったかのようにして、その場を立ち去る彼だったけれど。
オフィスをでた後には、至るところでひそひそ声が上がっていた。
「先輩、狡いですよっ。私もちょん、てされたい!」
タカちゃんが、クマをこしらえたこわーい目で迫って来る。
「いやいや、好き好んでされたワケでは……。」
「高山ー、俺がしてやろーか?」
「編集長!セクハラです!!」
どっと笑いが起きて。
忙しさもなかにも…和やかな空気が流れる。
恐るべし21歳。
人を不快にさせない方法も、空気を読むってことも…
修得済みってことだ。