だから私は雨の日が好き。【花の章】
「じゃあ、ちょっと社長の所に行ってくるから。定時になったら、出ていいわよ」
「了解しました。でも、亜季さんがお戻りになるまでは待ってます」
「・・・ありがとう」
全員が頷いてくれたことに嬉しくなって、素直にお礼を言った。
資料を持って秘書室を出て、社長室のドアの前に立った。
あの秋の終わり。
このドアの前で掴まれた手の感覚を、今でも鮮明に想い出せる。
体温の高いあの手に触れたのは、あの日が最後だ。
彼は翌週から東京へ長期出張に行ってしまった。
何でも、社長と話をした際に東京へ行ってみないか、という提案があったそうで。
年末年始のイベントの参考に、関東百貨店の運営に参加してみることになったのだとか。
運営を見るだけではなく企画から携わりたい、という彼の意向で。
急遽三ヶ月の出張が決まった。
それを知ったのは彼が出発するその日で。
社内で見かけた彼は、私に気付いたはずなのにすぐに視線を逸らして出かけて行った。
メールで『気を付けて』と一言伝えると、『あなたも気を付けて』とそっけないメールが返ってきた。
まるで恋人のようなやり取りなのに。
『気を付けて』という無難な内容しか送れないことに、納得と疑問を繰り返していた。
――――――コン、コン――――――
ドアをノックして社長室に入る。
いつもよりも少しだけ疲れた顔をした社長が、私の方へ眼を向けた。