だから私は雨の日が好き。【花の章】
「尾上さん」
響いた声は決意に満ちていて、俺はその声に目線だけで応えた。
畏まった対応など、その決意を怯ませるだけだ。
俺が欲しいのはそんなものではない。
今伝えたいと想った彼女の言葉、そのままが欲しいのだ。
続きを促すように、猪口を取って酒を流し込む。
喉を通り過ぎる酒の味など、今の俺にはもう分からなかった。
「やっぱり、私には無理です」
彼女は笑った。
困ったように、苦しそうに。
随分と意地悪く困らせてしまったなと思い、彼女に謝ろうと猪口を置く。
俺が言葉を発するより先に、彼女はもう一度口を開いた。
「尾上さんがいないなんて、絶対に無理です」
そう言って、彼女は深く深く笑った。
その笑みは。
今まで見た中で一番柔く。
今まで見た中で一番、いとしく想える顔だった。
その目の端から、堪えていたであろう涙が一筋流れる。
俺が気付かない訳がないことを分かっていながら、それでも気付かれないようにと顔を背けて抗う。
耳に残っている彼女の声が、いつまでも鼓膜を揺らしているような気がして。
気付けば俺は腕の中に彼女を閉じ込めていた。
抱き寄せた彼女の肩は頼りないくらい細く。
背中に回された手を握ってやることが出来ないのが、もどかしくたまらなかった。
声を上げることなく、顔さえも上げない強情な彼女に、無理強いをすることはなかった。
此処に閉じ込めてさえおけば、そんなことはいつでも出来ると知っていた。