だから私は雨の日が好き。【花の章】
「残したいのよ」
その言葉は、俺に向けて放たれた言葉ではなかった。
姉の目は我が子に、俺の姪である『ひめの』へと向けられていた。
義兄さんと目を合わせて、しっかりと決めたように頷く。
戻ってきた視線はとても優しい顔をしていた。
「ひめのにとって、此処はカズと一緒に過ごして、智哉が帰って来た事実の残る大切な場所なのよ。子供だからこそ、この場所のことをずっと憶えてると思うのよ」
「此処はね、ひめのにとって『実家』と呼べる場所なんだよ」
「実家・・・」
「そうよ。だから何年経っても、どんなに劣化が進んでも、此処を残しておきたいのよ。いつになるか分からないし、このマンションが住める状態で残っているうちに帰って来れるか、分からないけどね」
「それまで此処にいてくれるのが、カズだと有り難いね、って話してたんだ。これは、ひめのが生まれる前から決めてたことだよ」
「義兄さん・・・」
「これから当分ワガママ言えないんだから、これくらいのワガママ聞きなさいよ」
それは、我儘とはかけ離れたものだった。
我儘とは自分勝手で独りよがりで、もっと人のことを考えないものだと思うけれど。
姉夫婦の願いは、全て姪のためのものだとわかってしまったから。
その願いを聞き入れないという選択肢は、俺にはなかった。
水鳥嬢に目を向けると、彼女は優しく笑った。
その目は俺が決めたことを分かっている、という合図のようで、俺もそれに応えるように笑った。