だから私は雨の日が好き。【花の章】
「時雨を最初に救ったのは、森川なんだろうな」
櫻井さんは唐突にそんなことを言った。
時雨の過去に思いを巡らせていた俺は、その唐突な言葉に上手く反応することが出来なかった。
ずっと俺に語りかけていてくれた櫻井さん。
喉を潤すかのように、少しぬるくなったであろうビールを流し込んでいた。
動揺した気持ちを落ち着かせるように、俺もベイリーズ・コーヒーに口を付けた。
くどいくらいの甘さが、俺を現実に引き戻してくれる気がした。
「俺は、時雨に何もしてないですよ」
「森川自身は気付いてないってことか」
「入社時期が近いってだけで、それ以上は何も。ただ飲みに行くくらいですよ」
「森川と飲みに行くようになってから、男の気配がしなくなったじゃないか」
「・・・そんなことまで分かるんですか?」
「さぁな。俺は、お前が何をしたかの方が気になるけどな」
その目線は、もう優しいものではなかった。
俺が時雨に何をしたのか、と。
それを言うまで視線が外れることはないのだろう。
俺は笑った。
乾いたように笑った。
自嘲的と呼ぶに相応しい笑いは、櫻井さんにはさぞ痛々しく映ることだろう。
本当に、俺が時雨を変えることが出来ればよかったのに。
俺が出来たのは、ただ遊び歩く時雨に説教をしたことだけだ。
確かに『夜遊び』をやめはしたが、俺に縋ってくれることなど一度もなかった。
ただの一度も、だ。
それをしてもらえる櫻井さんが、心底羨ましかった。
この人は、俺が誰よりも尊敬し、誰よりも妬ましい人だ。