だから私は雨の日が好き。【花の章】
扉を開けると、時雨がいつも使っている香水の香りがかすかに漂っている。
恋を叶えるフレグランス。
時雨は、その香りをずっと身に付けている。
出逢ったころと変わらないその香りは、俺の脳に深く刻まれているようだった。
奥のうちの部署の棚まであと少し。
人の動く気配は感じなくても、時雨の香りが近くなる。
人間なのに動物じみた自分の感覚を、少し可笑しく思いながら近付く。
目に移すだけで触れることのない。
もう、俺のものにはならない存在を探して足を進める。
この狭い保管庫が、とてつもなく広い空間に思えた。
足を進めても進めても届かない、果てしない空間のように。
「時雨」
「うわっ!びっくりした。森川だったんだ」
「あぁ、お疲れ様」
「お疲れ様。もう戻ってたんだね」
俺を見つけた時雨は、少しほっとしたような顔でそう言った。
時雨から放たれるその声に、俺は意識を失いそうなほど緊張していたというのに。
「どうしたの?探し物?」
「あぁ、ちょっとな」
探し物は、今、目の前にある。
目の前で俺を真っ直ぐ見つめるその目に、何を言っていいかもわからなかった。
思わず棚のほうへ目を逸らす。
思っていることをそのまま言葉に出来るなら、といつも想う。
大切なことほど伝え損ねてしまう自分が、なんだかとても悔しかった。
心配そうな顔をして、俺を見ている時雨。
その姿が今、俺だけに向いている。
どうしようもないんだ。
俺は今、自分の気持ちを持て余している。