だから私は雨の日が好き。【花の章】





扉を開けると、時雨がいつも使っている香水の香りがかすかに漂っている。

恋を叶えるフレグランス。

時雨は、その香りをずっと身に付けている。

出逢ったころと変わらないその香りは、俺の脳に深く刻まれているようだった。



奥のうちの部署の棚まであと少し。

人の動く気配は感じなくても、時雨の香りが近くなる。



人間なのに動物じみた自分の感覚を、少し可笑しく思いながら近付く。



目に移すだけで触れることのない。

もう、俺のものにはならない存在を探して足を進める。



この狭い保管庫が、とてつもなく広い空間に思えた。

足を進めても進めても届かない、果てしない空間のように。




「時雨」


「うわっ!びっくりした。森川だったんだ」


「あぁ、お疲れ様」


「お疲れ様。もう戻ってたんだね」




俺を見つけた時雨は、少しほっとしたような顔でそう言った。

時雨から放たれるその声に、俺は意識を失いそうなほど緊張していたというのに。




「どうしたの?探し物?」


「あぁ、ちょっとな」




探し物は、今、目の前にある。

目の前で俺を真っ直ぐ見つめるその目に、何を言っていいかもわからなかった。

思わず棚のほうへ目を逸らす。



思っていることをそのまま言葉に出来るなら、といつも想う。

大切なことほど伝え損ねてしまう自分が、なんだかとても悔しかった。


心配そうな顔をして、俺を見ている時雨。

その姿が今、俺だけに向いている。




どうしようもないんだ。

俺は今、自分の気持ちを持て余している。




< 34 / 295 >

この作品をシェア

pagetop