お姉ちゃんの憂鬱
生きていれば、なぜか分からないけどどうしても分かり合えない人間と出会うこともある。
まだ17年しか生きていないあたしたちでも、それは言えることだろう。
些細なすれ違い、価値観の差、意識の違い、理由は途方もなく膨大で曖昧で漠然としている。
突き詰めて話あえばきっと理解できるところもあるのだろうけれど、お互いに心は読めないし、お互いにすべてを打ち明けることはないのが人間というものだ。
この人にだったらすべてをさらけ出せる。
そう思う相手に巡り合えたとしても、はたして本当にすべてをさらけ出すことができるのだろうか。
あたしは、ノーだと思う。
自分にとって都合のいいことを表現する、享受する。
自分にとって不都合なことは隠したがる、目を背ける。
そうやって、できるだけ気を楽に、なるべく気力をつかわない方向に進んでいく。
あたしは別にそれが悪いことだとは思わないし、あたし自身そうやって生きてきたのではないかと思う。
意識したことはないけれど、意識するまでもなく自然な摂理だとさえ思う。
「かなたちといることは、逃げたことになる?」
「いやなこと、苦手なことから逃げたくなるのは本能的なものでしょ。楽に生きたいもん。」
つまりはそういうことだ。