社長に求愛されました
給湯室の壁が抜けるんじゃないかってほどの声量で叫んだ綾子に、ちえりが慌てて他の社員がいるフロアを覗くと、全員がこちらを注目していた。
「社長がついにプロポーズしたって事かー!」「いやぁ、めでたいなぁ」などと、笑っている社員からそっと視線を移すと、こちらを見て苛立ちを顔面に浮かべている篤紀と目が合う。
その視線にどうしようかと困っていると、篤紀の苛立ちオーラを感じていないのか、下田が「式場はやっぱり系列ホテルですか?」と篤紀に聞いていて。
それを聞いた篤紀が、ゆっくりと下田を見、「俺じゃねぇよ。ちえりにプロポーズしたのは」と低く小さな声で告げる。
下田は「え……」と不思議そうな声をもらすも、静かな怒りをまとう篤紀にそれ以上は聞けなくなり……。
他の社員も口をつむぎ、不自然なほどすっと仕事に戻ったのを見てから、ちえりが給湯室に顔を引込めた。
「なんかやけにシンとしてるわね」
「社長が一蹴したというかなんと言うか……。それより、大声出さないでください。まぁもう多分バレてるから今更ですが」
はぁ、とため息をつきながらコーヒーを入れるちえりに、綾子が顔をしかめながら聞く。
「それよりプロポーズってどういう事? なんで従兄妹が急にそんな事してくるの?」
歩が電話で告げたのは、“俺、別にちえりと結婚してもいいよ。母さんも賛成してるし”という内容だった。
そこには歩の意思だとか気持ちはまったく籠っていなかったが、そこはちえりにしたら特に気になる事ではない。
元より歩は自分の意思がないに等しいからだ。