社長に求愛されました


「ちえり、こっち向け」

髪をまとめ終わった篤紀が、自分の方を見るように言う。
うっかり素直な気持ちを口にしてしまった気まずさから、ちえりがなかなかそうできずにいると、後ろから伸びてきた手が強引に、でも優しくちえりの頬に触れ振り向かせる。

そして、肩が見える程度まで振り向かされたところで、ちえりの顔に影が落ちる。
目の前に、篤紀の顔が迫っていたからだ。

篤紀が近い距離からじっとちえりの瞳を見つめる。
ちえりの瞳の中に、嫌だという感情がないかどうか慎重に探ってからゆっくりと近づき……そのまま唇を重ねた。

恋愛にかまけていられないという、自分で引いたライン。
だからこそ、こんな風に揺らいでキスを受け入れてしまう。それを嬉しいと思ってしまう。

そんな自分に、なんて堪え性のない人間なんだと幻滅しながらも、ちえりには篤紀を拒むことはできなかった。
最初こそ、何度か拒んだ事もあった。
だけど、熱いものの籠った瞳で見つめられてしまえば……抵抗しなくちゃダメ、そんな気持ちは小さく姿を変えてしまって、代わりに大きく膨らむのは篤紀への恋心。
もう、それは抑えきれないところまできていた。

好きだという気持ちを前にすれば、理性なんていうものは何の役にも立たない事を思い知らされる。

だけど……そんな矢先だった。
篤紀の異動話が出て、篤紀が御曹司だと知ったのは。




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