社長に求愛されました


「あんなの……なんでもないじゃない」

綾子が決してそうは思っていない事をちえりも分かっていた。
その上で、なんとか励まそうとしているのだと。
だから、微笑んで、そうですねと言う事しかできなかった。

そんなちえりに、自分まで落ち込んでいる場合ではないと気を取り直した綾子が、絶対に分かってないでしょ!と声を張り上げてツッコんだところで、それまで和美にベッタリネットリと捕まっていた篤紀がふたりの下へ逃げ延びてきた。
ぐったりと疲れているように見える篤紀に、綾子が聞く。

「社長、もういいんですか? 根性の悪い白石出版のご令嬢とのお話は」
「いいも悪いも俺は最初から望んでねぇんだよ。
でかい取引先だし無碍にできなくて付き合ってたけどもう限界だ……。あれ以上話してたら多分そのうち殴りかかる」
「なんて言って逃げてきたんですか?」
「向こうがトイレだって席外したすきに。
専務の娘の結婚披露だっつーのにどうなってんだよ」

げんなりとした様子で息を落とす篤紀に、綾子が笑う。
ふたりとも多少の悪口を混ぜながらも直接さっきの事に触れないのは、ちえりへの気遣いからだった。

掘り返して慰めるよりも、何でもないように振舞う方がちえりにはいいと考えたからだ。





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