その香り、反則だな
「……美幸、ごめん。俺、美幸が苦しんでいた事に、全然気付いてやれなかった」
どんな時でも、笑顔を絶やさない彼女。
どんくさいけど、真面目で、泣き顔なんて、見せた事がなかった彼女。
誰よりも、俺が一番知っていた筈なのに、
そんな美幸に、今、目の前で辛い涙を流させているのは、他の誰でも無く、この俺自身だ。
誰にも打ち明けられず、一人胸に抱えていたに違いない。
きっと、俺の立場だったら、嫉妬や、妬みに押し潰され、耐えられなかっただろう。
「……ごめん、あの言葉は撤回する」
そう、ゆっくり身体を離すと、「良く頑張ったな」と、彼女の頭を優しく撫でた。
「先生……」
潤んだ大きな瞳が俺をとらえると、ふわりと彼女が俺に抱き付き、その細い腕を背中にまわした。
「先生、大好きだよ」
「!!」
柔らかく、程よくしっとりとした髪が、俺の胸に飛び込む瞬間。
彼女の甘い香りが、俺の理性を刺激し、あれ程かたくなに誓った決意は、一瞬にして脆くも崩れ去る。
そうなれば、もう、時間の問題で……
何だか、もう、どうでもいい。
「……“先生”じゃない、“蒼太”だろ?」
「え……?」
驚く彼女の顎を、ゆっくり摘まみ上げると、唇を見つめながら、思わず呟いた。
「もう、限界」
そして、何かを言おうとした彼女の口を、しっとりと熱をおびた唇で塞いだ。
頭の中が麻痺したように、俺は、ただ彼女の唇の感覚だけを、味わっていた。
今までのもどかしさが、まるで溶けて消えるかのように、何度も、何度も唇を重ね終わると、いつの間にか、現れた青空に、俺達は顔を見合わせ、笑いあった。
「その香り、反則だな」
(完)