その指先で、濡れる唇
ここは今、ほぼ完全な二人きりの密室。
そもそも、開架閲覧室はともかくとして書庫へ入る利用者は少ないのだ。
書庫に在庫する資料は捜索が難しいし取り扱いも少し面倒だったりする。
ほとんどの人が司書に頼るところを、ちょいちょい書庫へ立ち入る木村さんは少数派の変わり者だ。
「とすると、雨が小降りになるのを待つしかないか」
「ですね」
「ふたりだからってタクシー使うにはあまりにあんまりな距離だしな」
「歩いて十分ちょいですもんね」
「だよな」
「ですよね」
ぽつぽつととりとめのない話をしながらも、内心はドキドキ。
自分から勇んで乗り込んで来たようなものなのに、まるでダメダメだ……。
木村さんは今、いったい何を思っているのだろう?
雨早く止まねぇかなぁ、とか?
交流会面倒くせぇなぁ、とか?
それとも、なーんにも考えてないとか?
「西尾さんってさぁ」
「は、はいっ?」
鬱々悶々とのめりこんでいたところで、急に呼ばれてびくり。
「香水とか、何かつけてる?」
「えっ」
「いやさ、なんか……いい匂いだなぁって」
ど、どうしよう……。
ドキリ、ギクリ、ズバリだよっっ。
どきまぎして咄嗟に言葉がでてこない。
「これって何の香り?」
「えっと……バラの香りです。ローズ、なんです。一応……」
「そうなんだ?」
「はい。あ、そうだ。これなんです、こういうやつ。香水とかじゃなくって」
なんだか苦し紛れみたいに、私はポケットに忍ばせていた"お守り"を木村さんに手渡して見せた。
「これって?」
「グロスです。リップグロス」
「へぇー。開けてみても?」
「どうぞ」