アオルクチビル
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「これ柴崎君のものですよね?」


定時前ぎりぎりの時間にまわってきた『至急』の見積もり書のせいで、電卓片手にひとり残業しているときだった。

ノー残業デーの水曜日だから、てっきりもう帰っているのだとばかり思っていた御幸室長が購買課のフロアに入室してきた。


彼の手の中にあるものを見て思わず失笑しそうになる。


いかにも女の子が好きそうな繊細でデコラティブな容器に入ったそれは、某ブランドのリップグロスだ。すこし骨ばった室長の手の中でさえ、その主張のあるつやつやとしたパールピンクが意味ありげに輝いている。



「お疲れ様。また営業二課がこんな時間に無理やり押し込んで来たんですか?」


誰に対しても腰の低い室長が、私の手元を覗き込み、いつもながらの丁寧な言葉で残業を労ってくれる。


「室長こそお疲れ様です。私のこれはいつものことですから」


会話をしつつも、室長がグロスを差し出してきた。私が受け取ることを逡巡していると、不思議そうな顔をして「柴崎君のものではありませんでしたか?」と訊いてくる。


「私のです。室長、よく分かりましたね。……これ、どこで?」

「喫煙所のゴミ箱の中にあったらしいですよ。今、清掃の田上さんに渡されました。まだ中身もたっぷり入っててしかも高価なものみたいだから、誰かが間違えて落としたんじゃないかって。喫煙所を利用する女子社員はこのフロアでは柴崎君くらいでしょう。それに」

「--------こんな高い化粧品使うなんて、年増の私くらいですからね」


見積もり書に視線を落としたまま言った言葉が、自分で思っていた以上に自虐的な言葉になってしまう。御幸室長は整っているけれどあまり印象に残らない控えめな顔に、困ったような笑みを浮かべた。


「柴崎君。たかだか28で年増っていうなら、30も半ば過ぎてる僕はなんですか」
「室長はいいんですよ。男だし、年齢なんか気にならないでしょう?それに男前で若く見えるんですから」


自分で言ってて、いちいち棘のある言い方だなと内心呆れていた。室長もそれを感じ取っているようで、「……柴崎君?今日はどうかしたのですか」と気遣わしげに訊いてくる。


部下に嫌味っぽい言い方をされているというのに気分を害した様子もない。やさしげな見た目といい、懐の広さといい、本当によく出来た男だ。あいつとは大違いだ。





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