ロスト・クロニクル~前編~

 やはり、廊下には誰もいなかった。

 予想通り、寝台から起き上がれないようだ。

 廊下に足音を響かせ、エイルはある場所に向かう。

 其処は、寮で生活する人達が使用する手洗い場。

 桶の中に水を汲むと、温度を確かめるように片手を入れてみる。

 水は氷のように冷たいが、顔を洗わないわけにはいかない。

 それにこの場所に突っ立っているわけにもいかないので、エイルは水の中に両手を入れると顔を洗いはじめた。

 その冷たさに、眠気が一気に吹き飛ぶ。

 急いで顔を洗い終えたエイルは温かいタオルで冷たくなった顔を拭くと、両手に己の温かい息を何度も吹きかけ温める。

 真っ赤に染まっている手は鈍い感覚しか残っていないので、吹きかける息の温かさでは、もとの体温に戻らない。

 次に両手を摺り合わせ、摩擦の力で温めようと試みる。

 すると、徐々に温かさが戻ってきた。

 だが、今度は身体の方が寒くなってくる。

 このままでは風邪をひいてしまうと判断したエイルは自室に戻ると、寝台の下から箱を引き摺り出し、その中からマフラーと手袋を取り出す。

 それとクローゼットからは、コートを取り出した。

 メルダースでの生活の際、防寒対策は完璧でないといけない。

 その理由として、教室が寒いのだ。いくつかの教室には暖炉が設置されているが、残念ながら全部ではない。

 メルダースの教室の数は、軽く五十は超える。

 それ全部に設置していたら、燃料費だけで馬鹿にならない。

 それに、生徒達が授業を受ける教室はかなりの広さを有している。

 無論、暖炉ひとつで全体を暖めるのは不可能といっていい。

 だからといって、複数暖炉を設置するのは馬鹿らしい。

 その為この時期は、寒さと戦いながら授業を受ける。

 エイルはそれらを着込むと、再び自室から廊下に出る。

 やはり、廊下は静かだった。

 こうなると、出歩いている人数は限られてくる。

(さて、はじまるまで何をしていようかな)

 ふと、ラルフの顔が脳裏を過ぎった。

 次の瞬間、エイルの表情が怪しく歪む。

 いつもとは逆に、此方から叩き起こしに行く。

 日頃散々迷惑をかけているので、ストレス発散にちょうどいい。

 そうと決まれば、後は行動に移すだけ。

 エイルは不適な笑みを浮かべると、ラルフの部屋に向かう。

 ラルフの部屋、ひとつ下の階にあり、エイルは彼の部屋の前に行くとノックなしでいきなり扉を開けた。

 この行動はラルフがいつもやっている無礼千万の行動と同じなので、文句を言われる筋合いはない。

 だからこのようなことをラルフが行わなければ、ノックをして相手の返事を待つ。

 要は自業自得なので、これについて文句を言われてもエイルは軽く横に流すつもりでいた。


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