ロスト・クロニクル~前編~
エイルは〈社交界〉と呼ばれている特殊な空間に、嫌悪感を抱いていた。その一番の理由というのは、女性が身に付けている香水と化粧の臭いが苦手だった。母親のシーナは化粧と香水は大量に使用する性格ではないので、普段の生活に支障を来たすということはない。
だが、他の女性達は違う。大量の香水を身体に振り掛け、肌に化粧を塗りたぐる。エイルは過去の経験で、一種のトラウマになっていた。幼い頃、その両方が凄まじい婦人に抱き締められ、気絶した経験を持っていたからだ。その結果、エイルは香水と化粧の香りが嫌いになった。
何度も、エイルは溜息をつく。それを目の前で見ていたフレイは、その溜息の意味を尋ねる。
「いえ……その……それは、いつですか?」
「明日だ」
「……早いですね」
「何か、問題でもあるのか?」
「それは……ないです。やっぱり、夜会ですよね」
「それがどうした」
「……いえ、何も」
流石に、香水と化粧が苦手ということを言いたくとも言えない。エイルは個人的に社交界に参加したくはなく、逃げ出すことができるのなら今すぐに逃げ出していた。だがそれを行った場合、多くの人物に迷惑を掛けてしまう。そして何より、バゼラードの家名に傷が付く。
その為、渋々ながら受け入れていく。これも、貴族として生まれた者の定めのひとつだった。
「リンダに頼めば、用意してくれる」
「……はい」
「顔色が悪い」
「疲れました」
「……そうだったな。今日は、ゆっくりと休め。疲れを理由に、夜会を休まれたら困るからな」
その言葉は、エイルの身体に容赦なく突き刺さっていく。無論、エイルは自身が置かれている立場を嫌でも理解しているので、フレイの逆鱗に触れるような愚かな行為は行わない。
フレイが本気で怒った場合、相手が息子とであったとしても無表情で抜刀してしまう。流石にエイルは一度として抜刀された経験を持っていないが、フレイの性格上、やると言った時は必ずやる人物である。それは周囲の意見と、イルーズが話す言葉が深く関係していた。