孤独な歌姫 緩やかに沈む
歌姫といえど、私は35歳。少しの距離を走っただけだったのに息切れがする。
「随分、走ったね……」
ゼェ、ハァ言いながらも彼に話しかけた。
「あー、気持ちよかった! 夢羽さんは?」
「!」
そういえば、走っている間は忘れてた。歌えないことも。佐倉さんのことも。
「ここ穴場なんですよ。それにホラ」
膝に手をついてゼェゼェしていた私だけど、そう言われてやっと顔を上げた。そこにはオレンジに輝く東京タワー。今の私にはキラキラ眩しくて切ない。彼は嬉しそうに笑うけど、私は愛想笑いさえもできなかった。
「夢羽さんはスカイツリーの方が好きだった……? 俺は東京タワーが好きなんだけど」
「好きだよ、東京タワー。綺麗だね」
無理に笑ったせいで涙が零れおちた。こんな綺麗な東京タワーを見た日には音楽に携わる者であれば即座にメロディや詩が思い浮かぶ。それなのに、ワタシにはそれを口ずさむことさえもできない。
「……夢羽さん……?」
「私さ、歌えないんだ。歌いたくてもメロディが浮かばない。音が取れない。詩が出てこない」