君に物語を聞かせよう
3.傲慢
美恵の様子がおかしいと気付いたのは、多分取り返しがつかなくなってしまってからのことだった。

何か言いたげに、しかし何も言わずに俺の顔をそっと窺うことが増えた。
何? というように片眉を上げて見せれば「何でもない」と取り繕った笑みを浮かべる。
その顔つきに違和感を覚えることができるくらいには、俺は美恵を知っていたつもりだった。


「俺に言いたいことでもある?」


何気ない風を装って訊く。
美恵はゆっくりと首を横に振り、「どうして?」と逆に問うてくる。
こういう時さ、お前は「いっぱいある!」って重ねてくる性格なんだ。
俺のイヤなところをあげつらうんだ。それをしないときは大抵、言いたいことがあるんだよ、美恵。

しかし俺は、それを口にはせずに「別に」と続けた。「気のせいだったかもな」と。
お前がほっとした表情を見せたのも、知ってた。


どうやら黒田サンと関係を持ってしまったらしいと気付いたのは、少ししてからのことだった。
おいおい、嘘だろ? あの人、ゲーム感覚で女を口説くんだぞ?
それに乗ったのかよ。落とされたのかよ。
馬鹿じゃねえの。

正直、美恵に呆れた。俺の方がよっぽど、お前を大事にできるっていうのに。


「えー。蓮さん、それ本気で言ってんの? あたしとこうして遊んでるくせに?」


誰だったか。
肌がしっくりと合う女の子で、月に二回くらい会っていた、気楽な付き合いをしていた子。
汗ばんだ肌を重ねたベッドの上。冗談めかして美恵の話をしたら、汗で掠れた眉をきゅっと顰めて俺を責めた。


「あたしでも、蓮さんが彼氏だったら辛くて浮気すると思う。待つだけなんて絶対無理だもん。蓮さん、遊び過ぎだし」

「辛くないだろ。あいつのこと、大事にしてるよ? 遊んでるって言っても、別にいちいち報告してるわけでもないんだから、知らないんだし」


む、として言うと、馬鹿は蓮さんじゃん、とその子は噴き出した。


「気付いてないって思ってんの? 絶対分かってるって。それでも何も言わなかったのは、蓮さんが好きだったからだよ。でも、もう分かんないね。好きだから我慢してる、がどうでもよくなったから放置してる、に変わったかも」

「放置、ねえ」

「そ。蓮さん、見限られちゃったんじゃない? もういらなーいってなっちゃったんだよ」


くすくすと笑いながら、その子はベッドサイドの煙草に手を伸ばそうとした。それを阻み、腕の中に絡め取る。文句を口にしようとした口を、乱暴に塞いだ。


「ん……、何よ、あたしの言ってることが厭な訳?」

「知らん」


股を割り、まだ濡れそぼったままの中に指を押し込む。情事のあとのとろとろに溶けたままのそこは物欲しげに指をくわえ込み、甘えたような声が鼓膜を揺らした。


「ん……ふぁ……。ふ、ふふ、蓮さん、可愛い。彼女さんのこと、好きなんだ」

「うるせえ」

「彼女さんも、浮気相手と今頃こうしてるかも」

「黙れよ」


かき回す指を一本増やせば、ようやく喘ぎ声だけに変わった。

背中に刺さる小さな爪が与える痛みを感じながら、思い出したのはもう何年も共に過ごしてきた女の事だった。

俺が出かけるとき、いつも見せていた少し悲しそうな顔。それでもどうにか笑顔を作っていた顔。
悪いことをしてるのかも、と思わせるには十分だったけど、俺は見送られるままに出かけて行った。だって美恵は俺をいつだって、出迎えてくれた。待っていてくれた。

それが悪かった? だから黒田サンと?
黒田サンとのことは、俺に対する復讐?


ああ、もう面倒くせえ。消えてろよ。
後悔したって、遅いんだからな。
すげえ過ちを犯してんだってこと、悔やめばいい。


頭の中で悲しそうに笑む女にそう呟いて、目の前で揺れる胸元に唇を落とした。


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