君に物語を聞かせよう
4.憎悪
「蓮。私、貴方が憎いの。すごく憎い。貴方に出会わなかったら、辛い恋をせずに済んだ。
貴方がいなかったら、黒田さんに出会わずに済んだ。貴方さえいなかったら、私はこんな思いをしなくて済んだ!」
切っ掛けは些細なことだった。
いや、些細なことが引き金になる位、もうダメになっていたのかもしれない。
クラブで飲んでいた俺をわざわざ迎えに来てくれた美恵は、俺のどうでもいい一言で怒りだし、それは瞬く間に口論に発展した。
言うつもりは、なかった。
だけど、酔いと勢いに任せて、俺は美恵に黒田サンとの関係を問い但し、責めてしまったのだ。
自分のことを棚に上げて、俺は美恵を責め立てた。
「私を責めるなら責めればいい! だけど私だって、貴方を責める! 貴方のせいで、こんな辛い思いをしてる。どれだか辛いか、適当なことばっかりの蓮には分かんないでしょう……っ」
ハンドルを握る美恵の手が震えていた。
正面を睨む瞳からは、幾筋もの涙が伝っていた。
美恵は、俺が初めて見る顔をしていた。
初めて、綺麗な女だと思った。
美恵は可愛くて穏やかな女で、こんな、想いに身を任せるような激しい女ではなかった。こんな表情を、見せるのか。
ああ、この女は俺ではなく、本当に、他の男を想っているのだなと初めて理解した。
「蓮の彼女だから、黒田さんは私を見てくれた! それって蓮がいなくちゃ、私のことを見てくれないってことなのよ! ねえ、どうして? どうして蓮は私を苦しめるの? いい加減、私を解放してよ!」
ジャケットのポケットには、美恵に贈ろうと思っていたリングが入っていた。
黒田サンと美恵の間に亀裂が入り、美恵が捨てられたというのは薄々察知していた。
黒田サンはそういう人だ。彼が、天職だという自分の仕事と美恵を天秤にかけて、美恵を取るとは思えなかった。
ポケットの中の箱に触れて、離してを繰り返しながら、俺は美恵の綺麗な横顔を眺めていた。
一時の気の迷いからの関係だったはず。それが終わったのなら。
俺は美恵にプロポーズしようと思っていた。
手練れの男に引っかかって、捨てられて可哀想だなあ。まあ、とりあえず俺と結婚してさ、これからも仲良くやっていかないか。今回の事はいい勉強だったってことにしよう。
そう言って、渡すつもりだった。
数年に及ぶ美恵との付き合いに、不満はなかった。
両親とも仲良くやっているし、仕事に理解はあるし、俺の行動に異を唱えず見守っていてくれる。
美恵とだったら、夫婦と言う形になっても上手くやっていけるだろう。そんな考えだった。
しかし、車と言う狭い空間で隣り合っている今。
俺は自分の考えがどれだけ浅はかだったかを知った。
彼女はもう、俺を想ってなどいない。別の男のところに心がある。
俺を想うどころか……憎んでいる。
何て愚かな台詞を口にしようとしていたんだろう。これ以上美恵に憎まれて、どうすんだ。
「俺がそんなに、厭か」
「……ふ。愛してる、とでも言うと思った? 言うわけないでしょう。私がどれだけ、蓮の為に泣いてきたと思ってるの? その涙の一粒も、蓮は受け止めてくれなかったくせに。私は、蓮との記憶を全部消してしまいたいくらい厭よ!」
ばん、と力任せにハンドルを叩く。美恵は乱暴に頬を伝う涙を拭った。
その、瞬間だった。
対向車がふらりと中央線を越えてきた。
驚いた美恵がハンドルを切る。ぐるりと景色が代わり、目の前にガードレールが現れた。
「え? や、あ、やああぁ……っ!」
「美恵!」
衝撃を受ける前。美恵に手を伸ばした。が、美恵はその手から逃れるように身を捩り、手を払って叫んだ。
憎悪に満ちた瞳が、俺を捉えた。
「触らないでよ!」
そこで、記憶は途絶える。目を覚ました時には、美恵はもう二度と手の届かない場所へ行ってしまっていた。
貴方がいなかったら、黒田さんに出会わずに済んだ。貴方さえいなかったら、私はこんな思いをしなくて済んだ!」
切っ掛けは些細なことだった。
いや、些細なことが引き金になる位、もうダメになっていたのかもしれない。
クラブで飲んでいた俺をわざわざ迎えに来てくれた美恵は、俺のどうでもいい一言で怒りだし、それは瞬く間に口論に発展した。
言うつもりは、なかった。
だけど、酔いと勢いに任せて、俺は美恵に黒田サンとの関係を問い但し、責めてしまったのだ。
自分のことを棚に上げて、俺は美恵を責め立てた。
「私を責めるなら責めればいい! だけど私だって、貴方を責める! 貴方のせいで、こんな辛い思いをしてる。どれだか辛いか、適当なことばっかりの蓮には分かんないでしょう……っ」
ハンドルを握る美恵の手が震えていた。
正面を睨む瞳からは、幾筋もの涙が伝っていた。
美恵は、俺が初めて見る顔をしていた。
初めて、綺麗な女だと思った。
美恵は可愛くて穏やかな女で、こんな、想いに身を任せるような激しい女ではなかった。こんな表情を、見せるのか。
ああ、この女は俺ではなく、本当に、他の男を想っているのだなと初めて理解した。
「蓮の彼女だから、黒田さんは私を見てくれた! それって蓮がいなくちゃ、私のことを見てくれないってことなのよ! ねえ、どうして? どうして蓮は私を苦しめるの? いい加減、私を解放してよ!」
ジャケットのポケットには、美恵に贈ろうと思っていたリングが入っていた。
黒田サンと美恵の間に亀裂が入り、美恵が捨てられたというのは薄々察知していた。
黒田サンはそういう人だ。彼が、天職だという自分の仕事と美恵を天秤にかけて、美恵を取るとは思えなかった。
ポケットの中の箱に触れて、離してを繰り返しながら、俺は美恵の綺麗な横顔を眺めていた。
一時の気の迷いからの関係だったはず。それが終わったのなら。
俺は美恵にプロポーズしようと思っていた。
手練れの男に引っかかって、捨てられて可哀想だなあ。まあ、とりあえず俺と結婚してさ、これからも仲良くやっていかないか。今回の事はいい勉強だったってことにしよう。
そう言って、渡すつもりだった。
数年に及ぶ美恵との付き合いに、不満はなかった。
両親とも仲良くやっているし、仕事に理解はあるし、俺の行動に異を唱えず見守っていてくれる。
美恵とだったら、夫婦と言う形になっても上手くやっていけるだろう。そんな考えだった。
しかし、車と言う狭い空間で隣り合っている今。
俺は自分の考えがどれだけ浅はかだったかを知った。
彼女はもう、俺を想ってなどいない。別の男のところに心がある。
俺を想うどころか……憎んでいる。
何て愚かな台詞を口にしようとしていたんだろう。これ以上美恵に憎まれて、どうすんだ。
「俺がそんなに、厭か」
「……ふ。愛してる、とでも言うと思った? 言うわけないでしょう。私がどれだけ、蓮の為に泣いてきたと思ってるの? その涙の一粒も、蓮は受け止めてくれなかったくせに。私は、蓮との記憶を全部消してしまいたいくらい厭よ!」
ばん、と力任せにハンドルを叩く。美恵は乱暴に頬を伝う涙を拭った。
その、瞬間だった。
対向車がふらりと中央線を越えてきた。
驚いた美恵がハンドルを切る。ぐるりと景色が代わり、目の前にガードレールが現れた。
「え? や、あ、やああぁ……っ!」
「美恵!」
衝撃を受ける前。美恵に手を伸ばした。が、美恵はその手から逃れるように身を捩り、手を払って叫んだ。
憎悪に満ちた瞳が、俺を捉えた。
「触らないでよ!」
そこで、記憶は途絶える。目を覚ました時には、美恵はもう二度と手の届かない場所へ行ってしまっていた。