君に物語を聞かせよう
何かを、書こう。世界を紡げることを、思い出そう。

瑞穂から紹介された仕事を一度は断った俺だったが、まだ『空間』を創りだせるのかどうか知りたくて、受けた。
それは想像していたよりも苦しい作業だった。
ようやく吐き出した一文が、正しいのかが分からない。見当違いな描写をしているのではないかと思う。

書いて、消して。また書いて。

違う、こんなのじゃない。俺はこんなことを言いたいんじゃない。
以前は考えるより先にキーを叩いていた指先が、動かない。


「やっぱ、無理かもな……」


点滅するカーソルから開け放たれた窓に視線を移し、ため息を吐く。
庭先に、美恵が立っていた。
あの夜と同じ、冷ややかな顔つきで俺を見つめている。


「美恵も、俺がもう書けるわけがないって、言いたいんだろ?」


気侭にお前を傷つけて、命まで奪った俺に、もう二度と物語は紡げないか。
そうだよな、驕り高ぶった俺の創る世界に、誰が魅力を感じてくれるっていうんだよな。


だけどさ、美恵。
たった一人だけ、もう一度読んでもらいたい人がいるんだ。
俺の創った幼い世界の中で遊んでくれた、たった一人の女の子。
その子にもう一度だけでいい、俺の世界を知ってもらいたい。
そうして、あの無邪気な笑顔で、「面白いよ」って言ってもらいたいんだ。

あの子をもう一度、俺の話で笑わせてやりたいんだ。


思えば、思い出すめぐるの顔はいつも笑っていなかった。
気難しく唇を引き結んでいたり、何かを堪えるようにぎこちなく顔をひきつらせていたり。
あの子はもっと素直に笑う子なんだ。見ているこちらがつられて笑顔になってしまうような、そんな風に笑う子なんだ。
俺はめぐるのそんな顔を、もう何年も見ていない。


「頼むよ。そんな話が書けるまで、見ててくれよ。恩返しが、したいんだ」


俺に天職を授けてくれた、めぐるに。
もう一度、めぐるに笑って欲しい。

美恵は何も言わずに、闇に溶けて消えた。


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