【完】その鎖を断ち切って
「……あの、」

「よかったじゃない。幸せな生活をね」


 切れた下唇から滲み出た血が、口の中で鉄の味。彼の方を振り返るなんて出来っこない。私はやっとのことで彼に、嘘八百の祝福の言葉を贈った。


 彼がいなくなってしまったら、私はどうなる?そんな不安が警鐘を鳴らすけれど、こんな関係は彼のためによくない。今までは辛うじて大丈夫だったけれど、結婚するということは、法的に姻戚関係を結ぶことになるのだから、こうしてホテルの一室で逢瀬を重ねることも許されなくなるのだ。

 そんなこと彼も分かっている筈。それなのに、後ろから私を抱き締めた彼は、絞り出すような声でこう言ったのだ。




「離れていくんですか」




 違う、離れていくのは貴方でしょう。言い出せない言葉が喉で閊えて、私の目に涙を溜める。今泣いてはいけない。私も彼も、苦しみ続けることになってしまう。

 こんな縺れた関係、いい加減にどうにかしなければならない。


「アタシ、貴方には感謝してるのよ?」

「感謝、ですか」

「えぇ、感謝」


 それ以上でも以下でもない、そんな思いを込めて、そんな張りぼての言葉を集めて。

 今までごめんね。解放してあげるから、だから、最後に私の願いを。後腐れのない、いいオンナでいたいという思いを。



「――今までありがとね」



 ここで貴方が縋ってくれるなら、その鎖を断ち切ってあげるから。

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