その手を離さない

***


研修から一年が過ぎていた。

「何だよ?」

映画館を出ると、背の高い彼が少し屈んで笑う私の顔をのぞきこむ。

「翔平(しょうへい)、相変わらず手を繋ぐの
 好きだね」

上映中もずっと彼は私の右手を握っていた。

「環の手は特別だから」

「真優みたいに綺麗な手じゃないのに」

「そうか?今日もいい匂いがするな」

繋いだ手を持ち上げて、仔犬のようにクンクンと匂いを嗅がれた。

「この匂いが好きなのね」

研修中に見つけたハンドクリームは、ささくれだった気持ちをなだめてくれるナチュラルな香りと、サラサラの感触が気に入ってあれからずっと愛用しているもの。

「匂いも感触も、俺を誘ってる」

チュッとされて夜風に冷える体温が一気に上がった。

「この手が誘ったって、まだ言うつもり?」

あの研修最終日からずっと彼はそう言っては、私を口説いてきた。

そんなつもりはなかったのに。

「違う、この手の虜になったんだ」

繋いだ手を彼がスプリングコートのポケットにしまう。

二人の身体がより密着した。

「そう言えば今さらだけど、
 あの時どうして俺の頭を撫でたんだ?」

「どうしてって……」

研修中、ずっと翔平の事が気になっていた。

見た目はカッコいいけどちょっと抜けてるところがあって、課題も真っ先に終えたかと思ったらやり直しで。
その癖、自分のを置いておいて同じグループの遅れている人の手伝いをしてみたり。

いい意味で、見ていて母性本能を擽られていた。

だからあの日、仔犬のように項垂れて落ち込む彼を慰めてあげたかった。

きっと大丈夫だよって。

< 5 / 6 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop