イジワル上司に恋をして
そう。慣れない忙しさに、さすがに足腰が悲鳴を上げてるのは本当のこと。たぶん、このまま家に帰ったら、頑張ってシャワー浴びて終わりってところだ。
明日も今日みたいに混み合うなら、それこそ、本当に早寝しなきゃ体持たないかも。
なのに、さらに早出って!
絶対嫌がらせとしか思えないんですけど!
「それなのに、さらに早出を命令する、冷酷上司もいますしね」
言ってやった! ついに!
内心まだビクビクと。でも、お酒の力で少しは強気になってるわたしは、ちらりと黒川の反応を見る。
すると、くるりと黒川がわたしに向き直した。
「で? キスくらい、してきたか?」
「……ん、なっ……?!」
「どうだった? 他のオトコとのキスは」
いやいやいや! ちょっと待て!
「どうだった?」とか、「他のオトコ」とか。いちいち上から目線なのはいつものことだけど、なんかおかしくない?!
っていうか……。
「しっ、してないし!」
思わず、こっちも対等な口調で全否定。
つーか、本当にセクハラじゃない? これ!
あまりに衝撃なことだったから、びっくりしてムキになっちゃった。
瞬きも忘れて、目の前のセクハラ上司を見上げる。
ヤツの目は、特になにも変わらないように見えるし、ただ、じっとわたしを見つめるだけの目だ。
少しの間、黙って視線を交錯させていると、向こうが先に口を開いた。
「……あ、そ」
散々黙ったあとの言葉が、そのひとこと……!?
もしかしたら、もっと突っ込んだ話とか、からかわれたりとかするかと思っていたけれど……。
そんなわたしの予想に反して、黒川とは地下鉄来て、目的の駅まで一切言葉を交わさなかった。
ただ、ひとつ先の駅で降りるわたしが、ホームに足を着けた直後。
「ボーっとしねぇで、さっさと帰れよ」
ぽつりとそんな挨拶代わりの声が聞こえて来て、振り返ったのと同時に扉が閉まった。
窓越しに、辛うじて見えたヤツの横顔は、心なしかいつもの刺刺しいものを感じさせなかった。