イジワル上司に恋をして
ぽつりと横から聞こえた言葉に、わたしは視線を向ける。
青い神秘的な光の中で、西嶋さんが今までに見たことのないような……真剣な顔でわたしを見ていた。
普段纏っている、あの柔らかな雰囲気がまるでなくて。
怖い……わけではないけれど、ちょっと強張ってしまいそうな張り詰めた空気。
緊張の心音が、緩やかな空間に反して激しく聞こえる。
あれだけ涼しげだと感じたはずなのに、一瞬で熱くなる。
「おれも同じように感じてたよ。『ここだけ時間が違う』って。日常を忘れてしまいそうなくらいに、落ち着いたこの空間が好きなんだ」
ふっと視線を上に上げた西嶋さんが、僅かに微笑んで言った。
……あ。なんかちょっといつもの西嶋さんかも……よかった。
次々と来客者が流れていく中で、わたしたちはいつまでもその場に立ちつくしていた。
すごく長く感じるけど、きっと実際は5分程度だと思う。
その間、なにも会話せず。
ただ、ゆらゆらと独特な世界を生み出すクラゲたちを眺めていて――。
すると、視線は正面の水槽に向けられたまま、隣の彼が口を開いた。
「なの花ちゃん」
名前だけを口にされて、ドキリとした。
それは、この二人きりの時間が甘いものに変わるのかも……っていうような期待のものではなく……信じられない現象に。
『〝なの花ちゃん〟』
たった一度きりなのに、確かにアイツの声に聞こえてしまった。
目の前にいる彼とは似ても似つかない。
それなのに、なんでわたしの耳は、アイツの声に変換して――……。
動揺しているところに、西嶋さんの静かに光る目が私を見ていることに気がついた。
薄暗い中で目を合わせていると、催眠術に掛かったかのように動けない。
「お腹空かない? そろそろ出ようか」
けれど、想像していたようなセリフや行動はおこされず。
わたしは「あ、はい」と短く返事をすると、そのまま手を引かれて水族館をあとにした。