イジワル上司に恋をして

「な、なによ、その言い方っ……」
「優しそうに見えて、西嶋クンも男だからなぁ」
「ちょっと! なにが言いたいの!」


振り上げた手を、さっきと同じように黒川の胸に振りおろした。
けれど、今回はその手をヤツに受け止められて、反対に手首を握られて捕まってしまう。


「なにすっ……」


黒川の射程距離に入ってしまったことに、そのときに気付いてしまった。
間近で見上げると、すぐそこに黒川の顔がある。

この状況で目と目が合えば、それは〝危険信号〟が点滅するってわかってたはずなのに――。

引きこまれるようにその瞳に捕らわれて、頭ではわかっていても、どうにもならなくなっていた。

黒川の長い指がわたしの顔に伸びて来て、その大きな手で簡単に頬を挟む。
そのまま上向きにさせられたと思えば、もうわたしたちの距離はなくなっていた。

反射で目を閉じたが最後。
主導権は、間違いなくコイツ。

少し乱暴に感じた手とは裏腹に、ふわりと塞がれた唇。
それから啄ばむようなキスに変わると、不覚にも力が抜けてしまう。
薄らと開いた唇からするりと舌が侵入してきたことに、パニックになりながら必死に立とうと黒川の腕を掴む。


「……んんっ……」


どうしていいのか全くわからないまま、逃げ腰のわたしの腰をしっかりと引き寄せる。
容易く舌を絡め取られると、ますますわけがわからなくなって。

角度を変え、深く重ねられる唇に、頭が痺れるような感覚。


「――ふっ……あ……」


離された口からは、荒い呼吸が繰り出されるだけ。
ようやく解放されたっていうのに、酸素を取り込むのがやっとでなにも考えられない。


「……〝御礼〟の予行練習」
「……っ」


はぁ? 「御礼」って、まさか、吉原さんのこと?
「予行練習」って……。


「〝カレシ〟との」


わたしの顔を見て、ヤツは片眉を上げて「ふっ」と笑うと、ネクタイを直しながら出ていってしまった。

……なんなの。本当に、アイツはなんなの?

しかも、結局、吉原さんとの関係にはなにも触れぬまま。
頑なに口を割らないのは、ただ、アイツが寡黙なだけなのか、それとも……言いたくないことなのか。

それもわからぬわたしは、ヤツの残した甘い感触だけをただ反芻していた。


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