イジワル上司に恋をして
目を瞬かせると、ぽろぽろっと溜まっていた涙が2、3粒滑り落ちる。
慌てて手の甲で頬を拭うと、紛れもなく自分は泣いたのだと証明するように濡れた。
「ちがっ……! こここ、コレはっ」
止めようとしても、すぐには止まんない。
パッと横を向いて、今度は両手の指で目元を抑えるように拭う。
うわ、ヤバイ。なに、この状況……。
確かにテレビとか映画とかですぐ泣いちゃうタイプだけど、まさかたったこれだけのことで……!
テンパったわたしはその涙を隠すのに必死で、黒川が近づいていたことに気がつかなかった。
気付いたのは、あの大きくて明るい蛍光灯を遮るように、影がシーツに出来たとき。
その影に気付いて振り向くより前に、顔を覆うようにしていた手を軽く避けるように掴まれた。
ギシッと軋むスプリング。
それは、わたしの荷重じゃない。
この男の、膝の重みだ。
ドクン、とひとつ大きく脈を打つ。
目前にある男の顔を見てしまうと、目が逸らせない。
それを知ってるかのように、黒川は解放するどころか、じっとその黒い瞳をわたしに向けることを止めない。
――キス、されるかも。
頭に過ったことは、それだ。
視線を絡ませ合ったまま、黒川の薄い唇がゆっくり開いた。
そのちょっとした仕草に、どうしようもなく胸が締め付けられる。
「……涙なんて、仕事柄飽きるほど見てんのに……」
長い指先でわたしの頬に触れ、掠れた声で黒川はそう漏らした。
わたしの予想に反して、黒川がふいっと顔を逸らす。そして、ベッドに乗せていた膝を元に戻し、元の距離感になる。
拍子抜けしたままでいると、それからは一度も目を合わさず……。
「……ああ。もしかしたら、まだロビーにいるかもな。カレシ」
去り際にそれだけ言って、ヤツは姿を消した。
「な……なんなの……」
一体、なんなのよ。
あんなふうに近づかれたら相手が誰だって…………いや、〝誰だって〟というわけじゃない。
〝アイツ〟だから……キスの記憶をわたしに植え付けたアイツだったから。
だから、変な想像しちゃったじゃない。
「……バカはどっちよ。バカ」
きゅっと足元に掛かってた布団を握り、俯いて呟いた。
そこには、さっき拭った涙の跡が残った自分の手が映っていた。