イジワル上司に恋をして
ふぅっと息を吹きかけて、ひとくち口に含もうとしたときだった。
プライベートルームから奥に繋がってる、ブライダルの事務所から香耶さんがやってきた。
「なっちゃん、おはよ! 相変わらずマメねぇ」
「香耶さん。ここで働いてる、特権ですからー」
そう。ここでお客様にお茶を提供しているわたし。
それがきっかけで、ほんの少しだけ、今までよりも凝ったお茶の淹れ方を覚えた。
カフェではないから種類も数えるほどしかないんだけど。でもカフェじゃないからこそ、スピード重視しなくて済んで、普段よりもちょっとだけ美味しい飲み物を出すことが出来るんだと思う。
そんな作業がわたしは好きになって、今では仕事前に時間があるときはこうしてお茶を飲む。
「あ、お客様ですか? なにか準備します?」
「いいの? じゃあアイスティーひとつお願いしていいかな?」
お客さんに提供する飲み物を聞いたわたしは、快く香耶さんのお願いを聞き入れる。
アイスティーをグラスに注ぐと、香耶さんはアイスコーヒーを横で準備していた。
二人で並んで作業してる間に、ふ、と考える。
香耶さんて、あの黒川と同期って言ってたよね。じゃあ、アイツのこと、結構知ってたりするのかな。そうしたら、なにかひとつくらい弱味になるような、なんかそういうネタ、聞き出せたりしないかな。
いや、そんなもの引き出せなくても、香耶さんにだけならこの前のことを相談――――……。
「……あのっ、黒か」
「仲江。チェック済みの見積もり、置いといたから」
意を決してぐりんと首を回し、「黒川さん」って言おうとした。だけど、偶然か必然か――香耶さんの奥にそいつはいた。
「あ、ありがとうございます。なの花ちゃんも、ありがとね」
トレーを持って、香耶さんはフローラルの香りだけを残してその場から居なくなってしまう。
髪が肩下で揺れる背中を見つめて、心の中で叫ぶ。
『香耶さーーーんっ。わたしを、コイツとふたりきりにしないでくださーーーいっ』。
その叫びは、絶対に口になんか出してない。それなのに……。