イジワル上司に恋をして
「……は……? なに、嘘言ってんの? いまさら……」
唖然としたように、壁についていた手をずるずると引っ込めつつ、真っ黒な瞳を丸くしてわたしに向ける。
その反応がよくわからないまま、ぶっきらぼうに重ねて言った。
「……正確には彼氏じゃなくなったんです。別にそれはどうでもいいじゃないですか」
2度目の言葉にはもうなにも返ってこない。
けれど、目の前に立ちはだかれたままだから、ここから動くことも出来ず。
一向に動く気配のない黒川に、渋々言葉を繋げた。
「だから。同情とか、そういうんじゃないんで。勘違いしないでくれますか? そうじゃなくて、今朝からあからさまに無視するその態度がどうなのって話をしたかっただけ! 今まで散々人のことバカとか言いまくってたくせに、やりづらいったらないんですよ……! 急にああいう態度を取られると!」
なんとか震える声をごまかしながら言ってやった……!
こんなバカみたいな話を仕事中にするのもどうかと思うけど、大体、上司のはずのコイツがバカみたいに意味不明な態度するから!
過去にお兄さんの彼女となんかあったからって、現在のこの性格ワルオは変わらないわけなんだから、同情なんて頼まれてもしないっつーの。
……そう心で強く思っておかなきゃ、すぐにこの身勝手男の威圧感に負けそうだし。
言いたいことを全部ぶちまけてしまったあとの沈黙が長く感じる。
徐々に俯むいて、完全に下を向き切る前に、頭上から声が降ってきた。
「……オマエ、本当にバカだな」
「はぁ?!」
下向きだった顔を一気に上に向けて声を上げ、黒川を見た。
そのとき、目に映った黒川は、何度かみたことのある――……僅かに目を細める、裏表を感じさせない笑顔だった。
不覚にも、何度でもその笑顔に魅入られてしまう。
固まっているわたしの視界を遮るように、大きな手のひらが顔に近づいてきて。思わず目を瞑ると同時に、くしゃっと乱雑に髪を乱された。その伸ばされた手の横から片目を開けるように黒川を見ようとすると、そのタイミングで上手く顔を背けられて交わされる。
「どっかのバカのせいで、時間が無くなった」
「……それはこっちのセリフです」
やっぱり、この男とはこんなやりとりの方がしっくりくる。
そんな漠然とした心地よさを、頭ではなくて心で感じて、わたしは歩き出した黒川の背中を追うように踏み出した。