イジワル上司に恋をして

沈黙を破ったのは、黒川でも西嶋さんでもない。わたしでも、ない。


「ちょうど〝イイ〟とこから見てたけど。諦めて、わたしにしたら? 優哉」
「よっ、吉原さん……?」


わたしたち三人の間に割って入るように、突然声を掛けてきた吉原さん。
びっくりしたのは全員だと思うけど、声を漏らしたのはわたしだけ。


「……? この人は?」
「あっ……えっと……」


小首を傾げながら、コツッとさらに近付いてきた吉原さんを見た西嶋さんが小さく尋ねる。

『彼女は、黒川の元カノで、今まさに復縁するかもしれない相手です』だなんて、言えるわけない。

ぐるぐると、どう答えようか迷っていると、吉原さんが上品に笑顔を作ってこちらに体を向けた。


「初めまして。鈴原さんの彼氏さん……かしら。わたし、吉原香澄といいます。いつも優哉がお世話になってます」


「いつも優哉がお世話に」……。そんな些細なことですら、チクチクと胸に違和感を感じずにはいられない。
そんなふうに堂々と言ってのけられる吉原さんが、信じられないのと妬ましいのとでいっぱいだ。


未だに艶やかな唇を弓なりに上げ、にっこりと笑った顔の吉原さんを見る。

……修哉さんが言ってた。
この人に惑わされないように、って。それは、ちゃんと聞いてわかってるけど……。


ちらりと吉原さんの奥に見える黒川に目を向けた。


それでも、もし、どんな形にすれ、アイツの心にいるのがこの人だったら?
それはもう、わたしなんかの力じゃどうにもならないんじゃ……。


「……いえ、僕は別に……」
「なに、勝手に彼女気取りで挨拶してんの?」


西嶋さんが答えると、続けて黒川がようやく口を開いた。
ゆっくりと歩を進めて、わたしたちの方に近づいてくる。途中、吉原さんの前でピタリと止まると、黒川は鼻で笑った。

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