イジワル上司に恋をして
きっと無意識だと思う。
黒川は自分の手を併せ握るようにして、俯いた。
――もしかしたら。
黒川の二面性は、周りの人を傷つけないようにするための手段だったのかもしれない。
それを知ってしまったわたしには、どう対処していいのかわからないでいたのかもしれない。
だから、突然無視のような態度を取ったり、突き放したりしたのかも……。
自分から突き放すことで、自分が傷つけ、傷つくことを避けるために。
「傷つくのが怖くない人なんていないと、わたしは思う」
「……わかってる。だから、今まで付き合ってきた女も、すぐにオレの前からすぐにいなくなっていった。オレに踏み込んで、それ以上傷つけられるのを恐れて」
黒川は、誰が見てもかっこいい部類の男だ。
少しくらい態度が冷たいからといっても、きっとわたしなんか想像も出来ないくらいにモテてたはず。
それを予想しつつも、やっぱり過去とは言え、そういう話を聞いて平気な心情ではいられないけど……。
でも、過去のない人間なんていない。
「なのに……」
そう。ブラスに受け取れば、〝そういう過去があるからこそ、今の相手がいる〟ということだ。
「なのに、オマエは逃げるどころか近づいてくるから――……」
ゆらりと体を僅かに動かし、前髪の間から覗く瞳と視線がぶつかる。
その純黒な瞳は、見たこともないくらいに揺らいでいて……。
薄らと浮かぶ美しいものの正体に、まだ本人は気が付いていないのかもしれない。
「――本当は…………優しく、したい」
『優しくしたい』。
それは同時に、『優しくしてほしい』ってわたしには聞こえた気がした。
一筋。確かに黒川の目から零れ落ちた涙。
それは本当に一瞬の出来事で……。たった一粒の奇跡をわたしは見た。
すぐに下を向いてしまったから、濡らした頬が見えないけれど。
でも、立ち上がったわたしの視界には、確かに黒川の手に奇跡の跡を見つけた。
ゆっくりと、テーブルに添うように歩き、黒川の横で立ち止まる。
――ああ。まるで、〝ミルククラウン〟だ。
目を凝らしてもなお、見ることのできないミルククラウン。
黒川の涙は、たった一粒でも綺麗にクラウンを描いて、わたしの心に静かに波紋を残す。
そして、さっきコーヒーに入れたミルクのように、あっという間に混ざりゆく。