イジワル上司に恋をして
ヤツの手に握られてる傘が、わたしたちを隠すように高い位置から下へと下げられる。
いつの間にか真横にある顔。そして、耳に触れられてるんじゃないか、と思うくらいに息遣いが近く聞こえる。
「なっ……?!」
「しっ」
思わず発狂しそうになったわたしを制止して、その至近距離のまま黒川は囁いた。
「隣。キス、してた」
隣……? キス? して…………。
えっ、えぇ!!? こ、こんな街中で!!
ボッ、と急激に顔が赤くなるのが自分でもわかる。
それを聞いてしまったら、気まずくて右隣を見ることなんて出来やしない。
他人様(ひとさま)のことなのに、まるで自分のことのように心臓がバクバクと鳴ってる。
だから、だ。
超近くにある、コイツの憎たらしい顔のことを忘れていたのは。
「妄想しかしてない人間には、刺激が強いのかと思って」
ボソッと、低くしっとりとした声でわたしの鼓膜を揺らす。
慌てて左耳を覆い、すぐそこの美形な顔を思い切り睨みつけた。
「あ。もしかして、期待した?」
「――――してないっ」
「あ、そ。ほら、エロい想像してんなよ。早く渡るぞ」
「え、ろっ……?!」
スッと元の距離に戻り、涼しい目でわたしを見下ろした。
わたしはというと、悔しいけれど、そんな涼しげな顔なんて到底出来なくて。黒川の視線から逃れて、先に歩き出した隣のカップルがさしていたグレーの傘が動いて行くのを見つめる。
すると、「はぁ」というわざとらしいほどの溜め息をつく。わたしはその溜め息に顔を上げると、一歩先に踏み出してしまった黒川に、体が先に反応して追うように歩きだした。