イジワル上司に恋をして
そこまで言いかけて、言葉を飲み込んだ。
その先を口にするのを迷っていたタイミングで、香耶さんが部屋に入ってきた。
「あ、ここにいた。さっきの資料なんだけど……あ、それそれ」
香耶さんが来たのと同時に、さっきまでの男は姿を隠す。そしてまた、別の顔を見せながら、普通に仕事をし始めるんだ。
わたしはそんな彼の変貌振りを遠目で見て、そのままショップへと戻った。
「いらっしゃいませ」
耳を澄ますと聞こえる、オルゴールのBGM。
これがまた、昼食後の満腹時に睡魔を誘ってくるんだけど。
ぐるり、と小さな店内を眺めて歩くお客さんを目で追いながら、ぼんやりとする。
それにしても……さっきは危なかった。つい、売り言葉を買っちゃいそうになったもんな。
大体、アイツがあんな失礼なことを平気で言うから! だから、なんか悔しくて、『黒川』を『腹黒』とか『ブラック部長』とかにしたら、って言い掛けちゃった。
言ってすっきりしたいとこだったけど、後のこと考えたらそっちの方がめんどくさいし、恐ろしい。
仮に、そんな言葉を言ってしまった、と仮定した未来を想像して身震いする。
「黒川さん、かっこいいよねぇ」
そんな呟きに、パッと横を見る。そこには、もう一人のショップ担当でバイトの美優(みゆ)ちゃんが目をハートにしてた。
うわ。ここにもいた! 黒川に洗脳されてる可哀想な女子が!
「あ、あー……そう、ね……どうだろうね」
「えっ! 鈴原さんて、イケメンだめなんですか?!」
「や、ダメっていうか……」
“アイツ”が、ダメなんだよ。
横目でにこやかに接客してる黒川を見て、心の中で舌打ちをした。
「あたし、ブライダルのお茶出しって、どうもめんどくさかったんですけど……でも、最近は楽しくて仕方ないですー」
「はは……は」
……いいね。その魔法、いっそのこと、わたしも掛けられてた方が何十倍も楽しく仕事出来てたと思うよ、実際。