ベジタブル
そして鏡に映し出されているのは、歯ブラシを咥えながら眠たそうな表情を浮かべている男。それに、唇の間からは歯磨き粉の泡が流れ出ていた。これが二百年近く生きている吸血鬼の知られざる一面。
普段の彼はキビキビとした態度で料理を作り、一切妥協を許さない。そして清潔な白を基調とした服は、真心の表れ。どのような客であれ全て平等に扱い、嫌いな美食家であっても対応は変わらない。
しかしどのような生き物であっても、何事も完璧に行うことができない。一方が盛り上がれば、一方は沈んでしまうもの。それを見事に証明するのが、普段の彼のだらしない一面。
先程のシーツの件といい、店が休日の日は昼過ぎまで寝ている。そして今までの最高記録は、夕方までの爆睡。仕事の面は真面目に行い、プライベートは手抜きといっていい。それが、ジークの本質だった。
一通り歯磨きを終えると口の中に溜まっている泡を吐き出し、コップに注いであった水で漱ぐ。そして大きく口を開き、虫歯がないか確かめていく。ジークの吸血鬼特有の尖った牙は、歯磨き後ということだけあって綺麗に輝いている。だが、採決行動は行なわないので、この牙を使用したことは一回もない。何よりジークは、血の独特の味と臭いが苦手だった。
彼は普段から人間と同等の食事を取っているが、生来血色が悪い種族なので、いくら身体にいい栄養を摂取していっても血色が人間に近付くことはない。その為、ジークの肌は青白い。また、太陽の下で普通に生活が行えるとはいえジークは吸血鬼なので、動き辛いというのが本音だ。
だからといって、一人暮らしをしているので別に気張る必要はない。別に今、誰から見られているというわけではないので顔の形が変化するほど歪め、欠伸をする。そして寡暮らしの男に等しい生活を送り、部屋の整理整頓は月に一回行えばいいという環境の中で暮らしているのだが、流石にこれは内緒であった。
ジークはあくまでも有名店の店主として、生きていかなければいけない。だからそれに比例するように素晴らしい生活を送っていると人々は思っているだろうが、内情はこのようなもの。
理想の形は他人が勝手に想像し生み出していくものなので、その理想が現実に当て嵌まることは滅多にない。だが人間は、落胆を覚えた時の反動が凄まじいことを知っているので、無理に演じていく。
「痛っ!」
考え事を行い尚且つ急いで行動していると、視界が極端に狭くなってしまうもの。その為、ジークは扉の角に右足の小指をぶつけてしまう。その瞬間、全身に激痛が駆け巡った。それは切り傷や刺し傷とは異なり何とも表現し難い痛みで、ジークは声にならない悲鳴を上げてしまう。