今夜、君とBloodyKiss
「っ……」
思わず息を飲んで数歩後退すると周りの風景が歪み始める。
そんなわけも分からない状況で混乱しつつも、錯覚なのだろうかと思いながら懸命に一歩一歩歩いてくる男を見つめる。
その姿が景色と同じ様に歪み始め、徐々に溶けて分からなくなりかけた時、不意に身体がよろける。
後ろへと倒れる感覚を感じながらも、支える手段がなくそのまま身を委ねてしまう。そして危ない思いながら来たる痛みに備えて身体を強張らせたが、予想に反して優しい手が肩に温もりを与えてくれていた。
恐る恐る後ろを振り返ると、見慣れた優しい顔つきの友人、芹沢結斗が心配そうに身体を支えてくれていた。
「大丈夫?杏里ちゃん」
「ゆ……結…」
聞き覚えのある声に心の底から安堵が広がる。同時にあの意味が分からない不愉快な現象も収まり、周りはいつも通りの風景を取り戻していた。
少し視線をずらせばチラホラとあるく人も確認できる。何よりあの意味のわからない人がもういない。それが一番重要だった。
「うん、大丈夫。ありがとう」
少し気持ちを落ち着けて、結斗から身体を起こし自分の力で立つ。それでも心配そうに結の手がいつでも支えられるように空中を彷徨っていた。
「大丈夫だよ。おはよ、結。」
「…うん、おはよう。」
安心させるために、彷徨う手を押さえつけて有無を言わせないよう無理矢理挨拶をする。それに不安そうな表情を見せるが、不本意ながらもちゃんと返事を返してくれる結に改めて笑顔をみせ、隣に並んで歩き出す。
「びっくりしたよー、杏里ちゃんが目の前で急にふらつくんだもん。倒れる前に間に合ってよかった。」
「うん、本当に結が助けてくれてよかった。あのままじゃ私、倒れてたと思うし。」
歩きながら本当に安心したように表現する結に賛同するように答えれば、結の表情がコロリと心配へと変わる。
「ねぇ、やっぱり今日は休んだ方がいいんじゃない?」
「ダメ。私今日が発表の日だもん、休めないよ。」
そう。別に休める授業ならとっくに休んでる。むしろ学校へなんて行かない。そんなクズな私がどうして今日に限って学校へ向かっているか。それはこの1ヶ月を費やして準備してきたゼミの発表の日だからだ。ここまでの準備が水の泡に消えるのも癪に障るし、なによりこの発表で今期の単位が決まるのだ。休むわけにはいかなかった。