センセイの白衣
放課後は、進路資料室にふらっと入った。

大学の過去問集、いわゆる赤本は、S大のしか持っていない。

今までずっと、S大のために勉強していた。

でも、これからはN大の勉強をしなくてはならない。

それが、あまりにもつらい。


N大の赤本を手に取る。

背表紙が、じわっと滲んだ。

ああ、もう引き返せないんだ。

S大を目指すことさえ、できないんだ―――



その時、ガラッとドアが開いて、誰かが入ってきた。



「あれ、横内さんですか。」


「あっ、……」



天野先生、と言おうとして、声がつまる。

数学を、一生懸命教えてくれた天野先生。

先生も、私がS大を目指していたことは、よく知っている。

だから、天野先生に会うのも、つらかった。



「どうしたの。」



優しい声で、天野先生は尋ねた。

そして、私の隣に並んで、私が持っている赤本を覗き込む。



「あれ?どうしてN大なんですか?……S大志望じゃなかったっけ。」



頷いて、笑おうとして。

失敗した。

だから、涙を必死にこらえながら、強がった声で言ったんだ。



「親に反対されちゃって……。だから。」


「県外にやらないって、そう言われたんですか?」


「……はい。」



涙を乾かそうとして、赤本を意味もなくぺらぺら捲った。

天野先生の顔が見られなかった。



「でも、そんなの……。あまりにも可哀想だ。」



天野先生が、沈んだ声で言う。



「センターの直前ですよ?どうしてこんな時期に。」


「でも、もう決まったことなんです。……仕方ないんです。」


「じゃあ、N大の教育ってことですか?」


「……はい。」


「そこ、二次試験に数学はありませんよね。」


「……はい。」



さすがはベテランの天野先生。

鋭い。



「せっかく、最近の横内さんは数学が出来るようになったのに。」


「……はい。」



はい、と答えることしかできなかった。

私はもう、何も言えなかった。



「わざと、センターでこけたふりをする、とかどうですか?それで、前期は受けられないから、後期のS大を受けさせてもらう、とか。」



天野先生が、苦し紛れにそんなことを言った。

あまりにもありえないアドバイス。

だけど、それを笑う余裕も、私にはなかった。



「ムリです。いずれにせよ、N大の方がS大よりボーダーが低いですから。」


「そうか……。」



天野先生、それでも先生が、私と一緒に悩んでくれたこと。

それが、私の救いだったんだよ。


川上先生に顔を合わせることもできなくて。

今の私には、誰も頼る人がいなかった。

だから、天野先生に救われた―――



「でも、あまりにも可哀想だ。」



私よりも諦めきれないみたいに、天野先生は言ってくれたね。

それだけで、私は十分だった。
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