とある夫婦の一日 【完】
前編
 結婚をした。
 式も挙げないような質素な結婚をした。
 互いの名前を書いて、判を捺して、書類を出して、役所の人から「おめでとうございます」と一言言われるだけの結婚をした。

 まだ友達にも家族にも言えていない。
 だって、彼は私を愛していないから。

 私が結婚を、
 ねだったから。

 書類上の夫婦とはいえ、二人一緒の空間に居を構えれば、当然顔を合わせるわけで、出勤や帰宅も分かる。

 私はとある企業の事務をしていて、残業さえ無ければ毎日の労働時間は比較的決まっている。
 一方、彼は某公立の高校教師。
 人当たりがいいからか、顧問をしている部活動の生徒や担当クラス…とにかく生徒にに人気で、職場関係も良好で、職場の飲み会などしょっちゅう出掛けている。
 土日は私は休みで家事をしたり、買い物に行ったりするけれど、彼は部活の顧問をしているから家にいない。

 まるで私を避けてるみたい――とは、本人に言えない。
 だって、彼には何の関係も無いもの。
 休みを私に合わせる必要なんて無い。

 私達の間に『愛』は存在しないのだから。

 私が彼を愛していればいい。
 彼が笑っているのを一番近い所から見て、静かに寝ているのを一番近い所から気遣って。
 私だけが彼の健康を考えて、私だけが彼の喜怒哀楽の表情を知っていて。
 それでいい。
 それだけでいい。

 今日も彼は朝早くから私の作った朝御飯を食べて、さっさと逃げるように部活へ行った。

 ただ、玄関から見送ろうと思って後ろをついていくと、彼の髪の毛に寝癖が立っていて手を伸ばして直しただけだ。

 何かに気づいた彼が、ばっと振り向き、私の手を避けたのだ。
 髪を押さえてビックリした顔で私を見つめる。

「な……な、何っ!?」
「…あ、えっと、寝癖が」
「……」

 目を見開いていたはずなのに、私が寝癖のことを言うと、彼は不機嫌になって靴を履いて「じゃあ」と言ってドアを閉めた。

 「いってらっしゃい」も彼は言わせてくれない。

 ――そんなに私との生活が嫌ですか?

 何も言わない扉の向こう。
 鉄の塊を見つめながら、私の目尻には塩辛い水が溜まっていく。

 私との生活が嫌なら何故、名前を書いてくれたの? 何故、判を捺してくれたの?

 この生活を私は後悔しています。
 あなたに自由をあげれない私に嫌気が差します。
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