彼と私は手を繋ぐ


「ごちそーさまでしたっ」

子供のように両手をきちんと合わせて、隆弥はそう言った。
私は無表情のまま、食器を流しに運ぶ。

「ありがとう」

隆弥はニコニコしながら言う。
感謝なんて、本当はこれっぽっちもしていないくせに。

だけど私も、感謝なんて必要としていないのだけれど。
これは、私の『仕事』だ。

私は隆弥の母親から、世話をする代わりに毎月お金を貰っていた。

最初は五万払うと言われたが、それは貰いすぎだと私が言うと、それなら…と『バイト代』は三万に落ちついた。
実際、ハウスキーパーを雇うよりは安くついているだろうから、私も遠慮せずにバイト代を受け取るようになった。

私は他にもケーキ屋さんで普通のアルバイトもしているから、実質隆弥の世話をするのは週二回程だった。

隆弥の生活を把握するうちに、なるべく夕方に来るようになった。

夜はもちろん女の子と居る可能性が高いし、午前中は午前中でまだ女の子とベッドに居る事も多いようだった。

昼を過ぎて、午後三時から六時位の時間が、比較的女の子に遭遇しない時間だと学んだ。

……隆弥のガールフレンド達は、掃除をしに来た私を見ると当然嫌そうな顔をする。
なによ、彼女面して、と嫌味を言われる事も多い。
実際には所謂『彼女』にあたるのは女の子達であって、私の立場は『家政婦』なのだから、そんな嫉妬は無意味なのだけれど。

だけど隆弥のガールフレンド達は、日々相手を蹴落として隆弥のナンバーワンになろうと必死なので、女相手だと敵意を剥き出しで来るのだ。

私はもちろんそんな勝負に挑む気はサラサラ無いので、なるべく彼女達に接触しないように必死である。

隆弥は甘えん坊だ。
それは幼児のような身勝手さを含んでいて、そこが彼の魅力でもあるらしかった。

……私には母性というものがあまり無いようで、イマイチ隆弥の魅力はよく分からなかった。
分からなくて良かったと、心底思う。

洗い物を終えた私がそろそろ帰ると感づいて、隆弥は必死で甘えて来る。

お皿を拭いている私を、後ろからふんわり抱きしめた。

「もう帰っちゃうの?」

「………」

猫なで声、とはきっとこんな声の事を言うのだろうな、と私は思う。
隆弥の性別が女だったら、間違いなく『ぶりっこ』の分類に入るだろう。

隆弥のガールフレンド達ならば、きっとここつノックアウトされてお泊まりコースなのだろうけれど、私にはぶりっこは通用しない。

ふんわり抱きしめている腕は、いとも簡単に振り払える。
……隆弥は身勝手だけれど、強引な事はしないのだ。

「じゃあ、次は金曜日に来るから。明日はちゃんと大学行きなさいよ」

「泊まっていかないの?」

「ご飯の残り、冷凍してあるから。……洗い物はしなくていいけど、食事は取りなさいよ」

「………」

隆弥は諦めたようで、今にも泣きそうな顔で頷いた。
そもそも、私がこの部屋に泊まった事など一度もない。
それなのに、まるでいつもは泊まっていくの に、とでも言うように、毎回隆弥はこう言うのだ。
「泊まっていかないの?」と。

馬鹿馬鹿しい。
どうせ今日も女の子と約束をしていて、あと数時間もすれば相手が来るのだろう。

万が一鉢合わせたらどうなるかなど、ちっとも考えていないのだ。

それに、隆弥と男女の関係になるだなんて冗談じゃない。
隆弥に抱かれるなんて、ハッキリ言って汚い。

私は潔癖症ではないけれど、あそこまで見境無い男は流石に無理だ。

……病気とか、持っていそうだし。

私は背中に絡みつく隆弥の視線を無視して、自分の鞄を持った。

玄関まで、隆弥は付いて来る。

……まるで犬のようだな、と私は思う。

「金曜日、待ってる」

……待たなくていいから、家に居ないでよね。
そう思ったけれど、私は口に出さなかった。
視線も合わさずに、サンダルを引っ掛けて玄関を開けた。

「……じゃあ、おやすみ」

「うん。またね、みーちゃん」

別れを言ったあとも、隆弥はずっと私を見つめている。
背中に視線を感じるけれど、私は決して振り向かない。

早足で、隆弥のマンションが見えなくなる曲がり角を曲がった所で、ようやく私は深呼吸をする。

「……はぁ」


あの部屋の淀んだ空気に浸食された気がして、私は息を吸い込む。
深く吸い込んで、思いっきり息を吐く。

別に隆弥の事は嫌いではなかった。

ヘラヘラした顔も、だらしのない所も嫌いだけれど、隆弥本人を嫌いなわけじゃない。

小さい頃から見てきたから、それなりの情はある。
嫌いだったら、そもそも世話なんて引き受けないだろう。
……だけどどうしても、あの部屋は私にとっては汚らわしくて、おぞましかった。

家に帰って、ゆっくりお風呂に浸かりたい気分だった。
お風呂で綺麗に身体を洗って、すべて洗い流してしまいたい。



夕方の空気は生暖かくて、もう春というより夏に近いな、とぼんやり思った。



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