楠は春に葉を落とす
「国魔じゃなきゃ駄目だった。だから、死にもの狂いで勉強した。ズルも使った。一番てっとり早く国全体のことを知るために、動物たちを操って情報を得られるようにした……禁じ手だったけどな」
「何でよ、都魔だって十分じゃない」
夜の道を、二人で歩いた。男たちから奪ったたいまつを片手に、ミシイの重い背嚢をヤールが背負う。最初にそれを背負った時、「何が入ってる? 石でも詰めたか?」と彼に嫌味を言われた。浮世離れした黒いローブ姿には、似合わない俗っぽい背嚢の背中。
それを見ながら、ミシイはまるでカカラの元にいた時間に戻っていく気がした。図体が大きくなってもすごい魔法使いになっていても、ヤールはヤールのままだった。
「駄目だ、都魔は都から出られない。村魔が、勝手にその村から出られないのと一緒だ。けど、国魔は違う。国魔は、国のどこに行ってもいい。召集をかけられた時に、すぐに都へ飛べるからだ」
「と言いながら、何で私たちは歩いてるの?」
偉そうに語るヤールに、ずばっと彼女は突っ込んだ。
「だから禁じ手を使って国魔になったって言っただろ? 俺のいまの実力は、都魔と国魔の間くらいだ。けど、あと1年半もあれば国魔の実力くらい手に入れてた」
「だからヤールは、いま都に帰れないってわけ?」
「帰れる。ただし、少し時間がかかる」
彼は、遠距離魔法を飛ばすズルとして、動物たちを中継に使っているという。人間の魔法に対し非常に感応力の高い動物を魔法の届く範囲に置き、そこから更に離れた次の動物へとつなぐ。そんな中継が必要だったため、彼はミシイを見つけるのに時間がかかった。そしてついに、1頭2羽の動物を経て彼女の元へとたどり着き、中継して魔法の力を送った。
この魔法で大事なのは、ヤールの位置。彼の位置が固定されていて動物を使う分には、その動物はある程度の範囲を自由に移動出来る。しかし、動物を操作している間、ヤール自身が動くことは出来ない。
ミシイがあのままフクロウの口に食われていたら、すんなり都のヤールのところへと飛ばされた。彼の位置は固定されたままだからだ。
しかし、彼女がそれを拒んだため、ヤールが飛んでこなければならなかった。彼の位置が変わったことにより、せっかく出来ていた中継点はすべて解除され、帰り道を失ったというわけだ。
いまこうして歩いているのは、いつまでもあの男たちの前で話し続けたくなかったのと、落ち着いて動物の中継点を作る準備をする必要があるため。一度中継動物を操作し始めたら、彼はその場から動けない。だから彼は、「少し時間がかかる」と言ったのだ。
都魔の実力があるなら、何回かに分けて飛べばいいじゃないというミシイの突っ込みに、ヤールは顔を顰めた。
「ババァだって村への移動には魔法陣使ってただろ? あれがあればいくらでも簡単に飛べる。俺は、魔法陣の代わりに動物を使ってる。確かに3回動物を経由すれば飛べるさ。けど、飛ぶ度に次の動物の中継点作りに時間がかかるんだ。また自分の位置を定めて、次の動物を目標に操作して……効率が悪い。そんなことをするより、最初の定点から一気に道を作ってからやった方が早いし無駄な魔力消費がない」
猛烈な速度で言葉を回すヤール。魔法の概念はミシイにはよく分からないが、彼がこの三年間、物凄い勉強をしてその能力を手に入れたのだけは分かった。
そろそろいいかと足を止めた彼が、その場に立ち尽くして動かなくなった。おそらく中継の動物を作り始めたのだろう。まずは、彼の側に一頭の山犬が現れて座った。
「そういえば、国を自由に動きまわれるために国魔になったって言ったわね。何で? わざわざズルまでして」
手持ち無沙汰だったのと、解けていない疑問があったため、ミシイは山犬の前に立ったままの彼に向かって問いかける。
「……」
しかし、ヤールはそれには答えなかった。動物の操作で忙しくて、ミシイの話には付き合えないのかと思った。
一分ほど待った後、「行くぞ」とヤールが言った。目の前の山犬がむくむくと大きくなり、その牙を並べた口を大きく開く。嘘でしょと、ミシイは顔を顰めた。本当に食われるわけじゃないと分かっていても、そのぽっかりとあいた真っ黒い世界は、進んで飛び込みたい場所ではない。
「俺が動くと、俺の位置が変わる。ミシイ、先に行け」
さっきまでの説明で、その順番しか駄目なことはよく分かったが、ミシイは躊躇した。とりあえず、山犬とヤールの間に立ちはするが、自分でも分かるほど腰が引けていた。
「さっきの話」
そんな彼女の背中で、ヤールがぼそりと言葉をこぼした。
「あー……ミシイは、これから行商人になるんだろ? だからさ。国中どこにでも行くような奴を助けるには……国魔になるしかねぇじゃねぇか」
えっ、と。
背中から聞こえた声に、彼女が驚いて振り返ろうとした時──山犬の大きな口が、容赦なく彼女にばくりと噛み付いたのだった。
次の瞬間。
ずるりと彼女は、別の空間に転げ落ちていた。燭台の火が燃える、小さな部屋の真ん中に、巨大なネズミがいた。ミシイはたったいま、そのネズミの口から吐き出されたのだ。
うえぇと思いつつ周囲を見回すと。
ミシイは思わず笑い出した。一目でここが、ヤールの個室だと分かったせいである。散乱した本と紙。寝巻きに服。汚い汚い、ヤールの部屋。背や声は変わっても、3年前と変わらない彼の悪癖。
ミシイに続いてネズミの口からずるっと吐き出された男は、フクロウの口から出てきた時のように華麗に一回転しようとして、背嚢の重さを計算に入れていなかったのか背中から床へと落ちた。蝋燭の明かりに舞い上がる埃。
元の大きさになって逃げ去るネズミを目で追うこともせず、散らかし放題の駄目な弟弟子に向かって、ミシイは上から見下ろしながらこう言った。
「よくも私を、こんな汚い部屋に連れてきたわね」
ニヤっと笑った彼女に、ヤールは転がったまま額を全開にしてこう言った。
「ようこそ、国魔様の部屋へ」
「何でよ、都魔だって十分じゃない」
夜の道を、二人で歩いた。男たちから奪ったたいまつを片手に、ミシイの重い背嚢をヤールが背負う。最初にそれを背負った時、「何が入ってる? 石でも詰めたか?」と彼に嫌味を言われた。浮世離れした黒いローブ姿には、似合わない俗っぽい背嚢の背中。
それを見ながら、ミシイはまるでカカラの元にいた時間に戻っていく気がした。図体が大きくなってもすごい魔法使いになっていても、ヤールはヤールのままだった。
「駄目だ、都魔は都から出られない。村魔が、勝手にその村から出られないのと一緒だ。けど、国魔は違う。国魔は、国のどこに行ってもいい。召集をかけられた時に、すぐに都へ飛べるからだ」
「と言いながら、何で私たちは歩いてるの?」
偉そうに語るヤールに、ずばっと彼女は突っ込んだ。
「だから禁じ手を使って国魔になったって言っただろ? 俺のいまの実力は、都魔と国魔の間くらいだ。けど、あと1年半もあれば国魔の実力くらい手に入れてた」
「だからヤールは、いま都に帰れないってわけ?」
「帰れる。ただし、少し時間がかかる」
彼は、遠距離魔法を飛ばすズルとして、動物たちを中継に使っているという。人間の魔法に対し非常に感応力の高い動物を魔法の届く範囲に置き、そこから更に離れた次の動物へとつなぐ。そんな中継が必要だったため、彼はミシイを見つけるのに時間がかかった。そしてついに、1頭2羽の動物を経て彼女の元へとたどり着き、中継して魔法の力を送った。
この魔法で大事なのは、ヤールの位置。彼の位置が固定されていて動物を使う分には、その動物はある程度の範囲を自由に移動出来る。しかし、動物を操作している間、ヤール自身が動くことは出来ない。
ミシイがあのままフクロウの口に食われていたら、すんなり都のヤールのところへと飛ばされた。彼の位置は固定されたままだからだ。
しかし、彼女がそれを拒んだため、ヤールが飛んでこなければならなかった。彼の位置が変わったことにより、せっかく出来ていた中継点はすべて解除され、帰り道を失ったというわけだ。
いまこうして歩いているのは、いつまでもあの男たちの前で話し続けたくなかったのと、落ち着いて動物の中継点を作る準備をする必要があるため。一度中継動物を操作し始めたら、彼はその場から動けない。だから彼は、「少し時間がかかる」と言ったのだ。
都魔の実力があるなら、何回かに分けて飛べばいいじゃないというミシイの突っ込みに、ヤールは顔を顰めた。
「ババァだって村への移動には魔法陣使ってただろ? あれがあればいくらでも簡単に飛べる。俺は、魔法陣の代わりに動物を使ってる。確かに3回動物を経由すれば飛べるさ。けど、飛ぶ度に次の動物の中継点作りに時間がかかるんだ。また自分の位置を定めて、次の動物を目標に操作して……効率が悪い。そんなことをするより、最初の定点から一気に道を作ってからやった方が早いし無駄な魔力消費がない」
猛烈な速度で言葉を回すヤール。魔法の概念はミシイにはよく分からないが、彼がこの三年間、物凄い勉強をしてその能力を手に入れたのだけは分かった。
そろそろいいかと足を止めた彼が、その場に立ち尽くして動かなくなった。おそらく中継の動物を作り始めたのだろう。まずは、彼の側に一頭の山犬が現れて座った。
「そういえば、国を自由に動きまわれるために国魔になったって言ったわね。何で? わざわざズルまでして」
手持ち無沙汰だったのと、解けていない疑問があったため、ミシイは山犬の前に立ったままの彼に向かって問いかける。
「……」
しかし、ヤールはそれには答えなかった。動物の操作で忙しくて、ミシイの話には付き合えないのかと思った。
一分ほど待った後、「行くぞ」とヤールが言った。目の前の山犬がむくむくと大きくなり、その牙を並べた口を大きく開く。嘘でしょと、ミシイは顔を顰めた。本当に食われるわけじゃないと分かっていても、そのぽっかりとあいた真っ黒い世界は、進んで飛び込みたい場所ではない。
「俺が動くと、俺の位置が変わる。ミシイ、先に行け」
さっきまでの説明で、その順番しか駄目なことはよく分かったが、ミシイは躊躇した。とりあえず、山犬とヤールの間に立ちはするが、自分でも分かるほど腰が引けていた。
「さっきの話」
そんな彼女の背中で、ヤールがぼそりと言葉をこぼした。
「あー……ミシイは、これから行商人になるんだろ? だからさ。国中どこにでも行くような奴を助けるには……国魔になるしかねぇじゃねぇか」
えっ、と。
背中から聞こえた声に、彼女が驚いて振り返ろうとした時──山犬の大きな口が、容赦なく彼女にばくりと噛み付いたのだった。
次の瞬間。
ずるりと彼女は、別の空間に転げ落ちていた。燭台の火が燃える、小さな部屋の真ん中に、巨大なネズミがいた。ミシイはたったいま、そのネズミの口から吐き出されたのだ。
うえぇと思いつつ周囲を見回すと。
ミシイは思わず笑い出した。一目でここが、ヤールの個室だと分かったせいである。散乱した本と紙。寝巻きに服。汚い汚い、ヤールの部屋。背や声は変わっても、3年前と変わらない彼の悪癖。
ミシイに続いてネズミの口からずるっと吐き出された男は、フクロウの口から出てきた時のように華麗に一回転しようとして、背嚢の重さを計算に入れていなかったのか背中から床へと落ちた。蝋燭の明かりに舞い上がる埃。
元の大きさになって逃げ去るネズミを目で追うこともせず、散らかし放題の駄目な弟弟子に向かって、ミシイは上から見下ろしながらこう言った。
「よくも私を、こんな汚い部屋に連れてきたわね」
ニヤっと笑った彼女に、ヤールは転がったまま額を全開にしてこう言った。
「ようこそ、国魔様の部屋へ」