桜華抄
「華ちゃん!!……悠河!!!」
日中と変わらぬスーツ姿の美都紫音が、唖然とした顔で社長室を見つめていた。
「君までも夢の中で仕事か」
ドアの脇に立っていた悠河がおかしそうに口をゆがめる。
「そのようね。同病相哀れむってところでしょう」
さすがに最初は驚いた様子だったが、すぐさまうろたえもせず冷静に切り返す紫音の様子に、華はやっぱり紫音さんってすごいなぁ…と感嘆のまなざしを送る。
華の肩に悠河が手を置く。両肩にかかる重み。見上げると心なしか顔色が悪い。
「具合、悪いの?」
「ドアのこちらに来たとたん、なんだろう…体が重いな」
華はあわてて悠河の両手を握る。
「充電して」
「すまない」
今のこの秘書室は紫音の夢の中なのだろうか。たまたま偶然自分の世界とつながっただけなのか。そのためこちらに来ると消耗するのだろうか。つじつまは合うが。
「華ちゃんの話していた夢の中にわたしも入れたのかしら」
紫音が机の上に広げた書類をまとめ始める。
「いや、たぶんこっちは君の夢だ。そのドアでたまたまつながったんじゃないのか」
華の手を握っていれば、先ほどのような疲労感はない。不安そうに見上げる華に悠河は
「大丈夫だ」と返す。
「それで悠河は自分のテリトリーからこっちに来ると、調子が悪くなるのね」
「そうかもしれない」
「社長室で待ってなさい。コーヒーを持ってくるわ。華ちゃんはミルクティーでいいわね」
「あ、ハイ」
紫音はつかつかと社長室のドアに近寄り、少し躊躇した後、社長室へと足を入れた。
「わたしは大丈夫のようだわ。こっちへ入ってもなんともない」
「よかった」
華は紫音に笑顔を向けた。紫音も笑顔を返す。
「さ、早くお戻りなさい」
紫音はカップを並べ、無駄の無い慣れた手つきでフィルターとポットを用意する。
社長室のドアを開け放ち、悠河は軽くもたれる。
「昨日の伝言で後は任せられるだろう」
「ええ、何とか。すごかったわ、華ちゃんの一人芝居。途中でうっかり質問してしまったくらい。まるで悠河がその場にいるようだったから」
「え…あ…、私は悠河の通りに演じただけですから」
「それがすごいんだよ」
悠河がソファに座る華に微笑みかける。かあーっと耳まで熱くなっていくのがわかる。華はうつむき、意味も無くスカートのすそのしわを伸ばしてみる。
――ホント、困るなあ。悠河がそんな風に笑いかけてくれるなんて、慣れてないんだから…。
「後任人事は?」
「暫定措置として、副社長の三原が社長代行を務めることになりました」
「そうか。中道穏健派か。無難な線だな」
「ただ、やはり神山常務が動き出したようで」
「だろうな。親父に接触したか」
「そこまでは、わたしもわかりかねますが。ただ美都家の人間とは連絡を取っているようよ」
「運輸から誰か来る動きは」
「それも水面下であるようす」
「とすると、やはりあの映画プロジェクトは厳しくなるな」
「ええ。若手を育てるという点では斬新な企画でしょうけれど、悠河の力が無くなると採算性が問題視される可能性はあるわね」
「10、20年先を考えて、今若い世代を育てなければ美都といえど衰退する。そう思って立ち上げたんだがな。頭の固い古い連中には受け入れられないだろう」
「せっかく計画し始めたばかりのプロジェクトなのに」
「…仕方がない」
「月下美人も」
「何かあったか?」
「今のところ表立ってはいないけれど、不穏な動きはすでに」
「早く手を打たねばなるまい…」
華は二人の会話についていけずぼんやりしていたが、月下美人と聞きあわてて顔を上げる。
「何? 何かあるの?」
紫音がトレーを手に社長室へと足を踏み入れる。テーブルにブルーマウンテンの香るカップとやわらかな色合いのミルクティーのカップを置く。
「華ちゃん、どうぞ」
「あ…ハイ」
紫音は悠河と華の向かいに腰をかける。紅茶の入ったシンプルなオフホワイトのカップを自分の前に置き、紫音は悠河を見据えた。
「悠河。華ちゃんから聞きましたわ。わたしに月下美人を託すとは、どういうことでしょう」
悠河はブルーマウンテンを一口飲む。ふと口元に微笑が浮かぶ。
「さすがに美味いな。これが飲めなくてつらかったよ」
「ありがとうございます」
「華の個人事務所を立ち上げ、君に社長になってもらいたい」
「……」
突然のことに華はカップを取り落としそうになる。
「ちょ…待って。私、美都にそのままいるんじゃダメなの?」
「あの上演権を君一人で管理できるか?」
「そりゃ悠河と共同管理にしたから今度は一人に…なっちゃうのかもしれないけど…。あの、でも私一人でもがんばってやっていこうかな、と」
「無理だ」
「無理よ」
悠河と紫音の二人に同時に言われ、華は口をつぐむ。
「君一人なんて危険すぎる。たとえ紫音が社長秘書としてサポートしても危険だ」
「そうよ。美都にいれば、上演権を取り上げられてしまう可能性は高いわ。いえ、きっと取り上げられてしまうでしょう。悠河がいなくなってしまったらすぐに…」
紫音は背を伸ばし、口元を引きしめた。
「悠河。わたしも自分で華ちゃんの個人事務所を立ち上げようかと考えていたわ」
「そうか。話が早いな」
「わくしとしても、今後どのような人が社長に着くか、それによってどのような処遇になるのか、まったく不透明な立場だから」
「そうだな。だが、君は元々親父の直轄の秘書だろう。戻されるんじゃないのか」
「戻らないわ」
即答だった。紫音は鮮やかな笑みを浮かべる。
華はカップを口につけたまま止まる。悠河もまた動きを止めた。
「これだけ2人と長い付き合いをしておきながら、このまま華ちゃんという天性の女優と月下美人を放り出して、どこへ行けましょう」
あでやかとも言える笑みを浮かべて紫音は言い切った。
華の胸に温かな空気が満ちる。悠河という大きな盾を無くしかけている華にとって、その言葉は本当に心強いものであった。
「とはいえ、わたし一人ではとても立ち上げることも経営していくことも厳しいと思うわ。悠河、何か策はおあり?」
「設立資金は俺の個人資産を使ってくれればいい」
「そうおっしゃられても、譲渡の手続きなど悠河があの状態では…」
「それは…待っててくれ。必ず何とかしてみせる」
「…ええ。こちらとしても色々手を打ってみますけれど」
「あとはできるだけネームバリューのある人物を重役に揃えるよう働きかけてみてくれ」
「例えば?」
「評論家の榎木氏、三興物産の谷口氏、東日本空輸の中村氏、できれば参議院議員の澤山氏にも声をかけてみてくれ。華の月下美人へ理解を示してくれると思う」
「ですが、もしも美都会長から強力な圧力を受けた場合…」
「…どうだろうな。難しいかもしれない」
「厳しい状況ね」
「ああ…」
悠河も紫音もそれぞれのカップを手に取り、考え込むように目を伏せた。
「それでも、美都にいるよりは個人事務所の方が華ちゃんを守れると思うわ」
「ありがとう。紫音」
ブルーマウンテンを飲むと、悠河は一つ息を吐いた。両手を膝の上で組み、じっと床を見つめる。
「実際のところ、俺の本体はどういう状況なのか教えてくれないか?」
「意識不明の重体」
「それは華に聞いた。具体的にはどういう状態なんだ?」
紫音はカップに薄くついた口紅をそっと指でぬぐう。
「事故の時に倒れ方が悪くて頭を強打したのよ。それで頭蓋内でひどい出血が起り、それによって脳の機能がほとんど…。回復の可能性はかなり厳しいと主治医の先生はおっしゃってたわ」
「そうか。…具体的には、あとどれくらいか?」
「わたしにはわからないわ」
「聞いているはずだろう」
「……」
「今更隠したところで、何の得にもならんぞ」
「……」
「俺には時間が無い。そうだろう。この限られた時間があとどれくらいなのか知りたいんだ!」
悠河は拳を強くテーブルを叩きつけた。華がびくりと震える。
紫音は顎を引き、二人を見つめる。そして深いため息とともに吐き出した。
「あと一週間ぐらい…だそうですわ」
予想はしていたが、直接目の前に突きつけられると愕然とする。タイムリミットはあと一週間。
――その間に何とかして華と月下美人を守る道筋をつけなければ。
「紫音。これから話すことは他言しないでくれ」
「はい。なんでしょうか」
「俺の影の部下として長年支えてくれた者がいる。名は響という。華は知っている。長年俺と華をつないできてくれたからな」
「かすみ草…の使いの方ですか」
「そうだ」
「何とかして奴とも接触したいと思っている。もしもできたら、君の仕事をサポートするように働きかけてみるつもりだ」
「具体的にはどのような」
「先ほどの資金譲渡やそれ以外にも」
「悠河が以前から他社や様々な人物の詳細な情報を得てらしたのも、その方のお仕事でしたのね」
「さすが、勘がいいな」
「恐れ入ります」
「ただ…奴も元々は親父の部下だ」
「ですと、どちらに付かれるか、まだわかりませんわね」
「少なくとも華の敵にはならない、と俺は信じている」
昔、親父に他人を信じるなとしつこいほど強く教えられた。長年自分の体にはそれが染み渡っていた。そのはずだった。
しかし、先ほど鮮やかな笑みとともに紫音が言った言葉を自分は無条件に信じている。そして響もまた、きっと華を支えてくれるに違いないと信じている。
自分は死を直前にして、信じる者たちへ華を託していくことしかできない。もはや自分自身で華を守ってやることができなくなった今となっては。
悠河は不安そうに自分を見つめる華の手をそっと握る。華は瞬時に頬を染め、目元にほのかな笑みが浮かべた。
――この笑顔を俺は守る
日中と変わらぬスーツ姿の美都紫音が、唖然とした顔で社長室を見つめていた。
「君までも夢の中で仕事か」
ドアの脇に立っていた悠河がおかしそうに口をゆがめる。
「そのようね。同病相哀れむってところでしょう」
さすがに最初は驚いた様子だったが、すぐさまうろたえもせず冷静に切り返す紫音の様子に、華はやっぱり紫音さんってすごいなぁ…と感嘆のまなざしを送る。
華の肩に悠河が手を置く。両肩にかかる重み。見上げると心なしか顔色が悪い。
「具合、悪いの?」
「ドアのこちらに来たとたん、なんだろう…体が重いな」
華はあわてて悠河の両手を握る。
「充電して」
「すまない」
今のこの秘書室は紫音の夢の中なのだろうか。たまたま偶然自分の世界とつながっただけなのか。そのためこちらに来ると消耗するのだろうか。つじつまは合うが。
「華ちゃんの話していた夢の中にわたしも入れたのかしら」
紫音が机の上に広げた書類をまとめ始める。
「いや、たぶんこっちは君の夢だ。そのドアでたまたまつながったんじゃないのか」
華の手を握っていれば、先ほどのような疲労感はない。不安そうに見上げる華に悠河は
「大丈夫だ」と返す。
「それで悠河は自分のテリトリーからこっちに来ると、調子が悪くなるのね」
「そうかもしれない」
「社長室で待ってなさい。コーヒーを持ってくるわ。華ちゃんはミルクティーでいいわね」
「あ、ハイ」
紫音はつかつかと社長室のドアに近寄り、少し躊躇した後、社長室へと足を入れた。
「わたしは大丈夫のようだわ。こっちへ入ってもなんともない」
「よかった」
華は紫音に笑顔を向けた。紫音も笑顔を返す。
「さ、早くお戻りなさい」
紫音はカップを並べ、無駄の無い慣れた手つきでフィルターとポットを用意する。
社長室のドアを開け放ち、悠河は軽くもたれる。
「昨日の伝言で後は任せられるだろう」
「ええ、何とか。すごかったわ、華ちゃんの一人芝居。途中でうっかり質問してしまったくらい。まるで悠河がその場にいるようだったから」
「え…あ…、私は悠河の通りに演じただけですから」
「それがすごいんだよ」
悠河がソファに座る華に微笑みかける。かあーっと耳まで熱くなっていくのがわかる。華はうつむき、意味も無くスカートのすそのしわを伸ばしてみる。
――ホント、困るなあ。悠河がそんな風に笑いかけてくれるなんて、慣れてないんだから…。
「後任人事は?」
「暫定措置として、副社長の三原が社長代行を務めることになりました」
「そうか。中道穏健派か。無難な線だな」
「ただ、やはり神山常務が動き出したようで」
「だろうな。親父に接触したか」
「そこまでは、わたしもわかりかねますが。ただ美都家の人間とは連絡を取っているようよ」
「運輸から誰か来る動きは」
「それも水面下であるようす」
「とすると、やはりあの映画プロジェクトは厳しくなるな」
「ええ。若手を育てるという点では斬新な企画でしょうけれど、悠河の力が無くなると採算性が問題視される可能性はあるわね」
「10、20年先を考えて、今若い世代を育てなければ美都といえど衰退する。そう思って立ち上げたんだがな。頭の固い古い連中には受け入れられないだろう」
「せっかく計画し始めたばかりのプロジェクトなのに」
「…仕方がない」
「月下美人も」
「何かあったか?」
「今のところ表立ってはいないけれど、不穏な動きはすでに」
「早く手を打たねばなるまい…」
華は二人の会話についていけずぼんやりしていたが、月下美人と聞きあわてて顔を上げる。
「何? 何かあるの?」
紫音がトレーを手に社長室へと足を踏み入れる。テーブルにブルーマウンテンの香るカップとやわらかな色合いのミルクティーのカップを置く。
「華ちゃん、どうぞ」
「あ…ハイ」
紫音は悠河と華の向かいに腰をかける。紅茶の入ったシンプルなオフホワイトのカップを自分の前に置き、紫音は悠河を見据えた。
「悠河。華ちゃんから聞きましたわ。わたしに月下美人を託すとは、どういうことでしょう」
悠河はブルーマウンテンを一口飲む。ふと口元に微笑が浮かぶ。
「さすがに美味いな。これが飲めなくてつらかったよ」
「ありがとうございます」
「華の個人事務所を立ち上げ、君に社長になってもらいたい」
「……」
突然のことに華はカップを取り落としそうになる。
「ちょ…待って。私、美都にそのままいるんじゃダメなの?」
「あの上演権を君一人で管理できるか?」
「そりゃ悠河と共同管理にしたから今度は一人に…なっちゃうのかもしれないけど…。あの、でも私一人でもがんばってやっていこうかな、と」
「無理だ」
「無理よ」
悠河と紫音の二人に同時に言われ、華は口をつぐむ。
「君一人なんて危険すぎる。たとえ紫音が社長秘書としてサポートしても危険だ」
「そうよ。美都にいれば、上演権を取り上げられてしまう可能性は高いわ。いえ、きっと取り上げられてしまうでしょう。悠河がいなくなってしまったらすぐに…」
紫音は背を伸ばし、口元を引きしめた。
「悠河。わたしも自分で華ちゃんの個人事務所を立ち上げようかと考えていたわ」
「そうか。話が早いな」
「わくしとしても、今後どのような人が社長に着くか、それによってどのような処遇になるのか、まったく不透明な立場だから」
「そうだな。だが、君は元々親父の直轄の秘書だろう。戻されるんじゃないのか」
「戻らないわ」
即答だった。紫音は鮮やかな笑みを浮かべる。
華はカップを口につけたまま止まる。悠河もまた動きを止めた。
「これだけ2人と長い付き合いをしておきながら、このまま華ちゃんという天性の女優と月下美人を放り出して、どこへ行けましょう」
あでやかとも言える笑みを浮かべて紫音は言い切った。
華の胸に温かな空気が満ちる。悠河という大きな盾を無くしかけている華にとって、その言葉は本当に心強いものであった。
「とはいえ、わたし一人ではとても立ち上げることも経営していくことも厳しいと思うわ。悠河、何か策はおあり?」
「設立資金は俺の個人資産を使ってくれればいい」
「そうおっしゃられても、譲渡の手続きなど悠河があの状態では…」
「それは…待っててくれ。必ず何とかしてみせる」
「…ええ。こちらとしても色々手を打ってみますけれど」
「あとはできるだけネームバリューのある人物を重役に揃えるよう働きかけてみてくれ」
「例えば?」
「評論家の榎木氏、三興物産の谷口氏、東日本空輸の中村氏、できれば参議院議員の澤山氏にも声をかけてみてくれ。華の月下美人へ理解を示してくれると思う」
「ですが、もしも美都会長から強力な圧力を受けた場合…」
「…どうだろうな。難しいかもしれない」
「厳しい状況ね」
「ああ…」
悠河も紫音もそれぞれのカップを手に取り、考え込むように目を伏せた。
「それでも、美都にいるよりは個人事務所の方が華ちゃんを守れると思うわ」
「ありがとう。紫音」
ブルーマウンテンを飲むと、悠河は一つ息を吐いた。両手を膝の上で組み、じっと床を見つめる。
「実際のところ、俺の本体はどういう状況なのか教えてくれないか?」
「意識不明の重体」
「それは華に聞いた。具体的にはどういう状態なんだ?」
紫音はカップに薄くついた口紅をそっと指でぬぐう。
「事故の時に倒れ方が悪くて頭を強打したのよ。それで頭蓋内でひどい出血が起り、それによって脳の機能がほとんど…。回復の可能性はかなり厳しいと主治医の先生はおっしゃってたわ」
「そうか。…具体的には、あとどれくらいか?」
「わたしにはわからないわ」
「聞いているはずだろう」
「……」
「今更隠したところで、何の得にもならんぞ」
「……」
「俺には時間が無い。そうだろう。この限られた時間があとどれくらいなのか知りたいんだ!」
悠河は拳を強くテーブルを叩きつけた。華がびくりと震える。
紫音は顎を引き、二人を見つめる。そして深いため息とともに吐き出した。
「あと一週間ぐらい…だそうですわ」
予想はしていたが、直接目の前に突きつけられると愕然とする。タイムリミットはあと一週間。
――その間に何とかして華と月下美人を守る道筋をつけなければ。
「紫音。これから話すことは他言しないでくれ」
「はい。なんでしょうか」
「俺の影の部下として長年支えてくれた者がいる。名は響という。華は知っている。長年俺と華をつないできてくれたからな」
「かすみ草…の使いの方ですか」
「そうだ」
「何とかして奴とも接触したいと思っている。もしもできたら、君の仕事をサポートするように働きかけてみるつもりだ」
「具体的にはどのような」
「先ほどの資金譲渡やそれ以外にも」
「悠河が以前から他社や様々な人物の詳細な情報を得てらしたのも、その方のお仕事でしたのね」
「さすが、勘がいいな」
「恐れ入ります」
「ただ…奴も元々は親父の部下だ」
「ですと、どちらに付かれるか、まだわかりませんわね」
「少なくとも華の敵にはならない、と俺は信じている」
昔、親父に他人を信じるなとしつこいほど強く教えられた。長年自分の体にはそれが染み渡っていた。そのはずだった。
しかし、先ほど鮮やかな笑みとともに紫音が言った言葉を自分は無条件に信じている。そして響もまた、きっと華を支えてくれるに違いないと信じている。
自分は死を直前にして、信じる者たちへ華を託していくことしかできない。もはや自分自身で華を守ってやることができなくなった今となっては。
悠河は不安そうに自分を見つめる華の手をそっと握る。華は瞬時に頬を染め、目元にほのかな笑みが浮かべた。
――この笑顔を俺は守る