溺愛御曹司に囚われて

「少し、向こうで話さない? まだ始まるまで時間もあるもの」


秋音さんが少し離れたところにある休憩スペースを指差す。
私は素直にうなずいて彼女の後について行った。

備え付けのベンチに並んで腰を下ろす。


「月子ちゃんは私の後輩で、面識もあったのよ。最近ハルちゃんと知り合ったことも、月子ちゃんの気持ちもなんとなくわかっていたわ」


ぽつぽつと語る秋音さんはきっと、種本月子の半年前のコンクールのことも、そのあとの酷評も知ってるんだ。

いくら高瀬に彼女がいることを知っていても、自分の弟と接することで少しずつ元気を取り戻す後輩を見て、止めることなんてできなかったのだろう。


「だから小夜ちゃんが口紅の話をしたときも、もしかしたらって思ったんだけど……連絡できなくてごめんね。なんて言ったらいいのかわからなくて。小夜ちゃん、あの記事はもう?」


私は静かにうなずいた。


「あの日、彼は家に帰って来なかったんです。それから連絡はとっていません」


秋音さんが細く形のいい眉を下げ、申し訳なさそうな顔をする。
ヴァイオリンを持てば美しい音を奏でる指で目もとを覆い、深いため息をついた。

だけど次の瞬間にはその手をぐっと握りしめて、瞳を怒りでめらめらと燃えあがらせる。


「今すぐぶっ飛ばしてやりたいわ、深春のやつ!」


そして私に向き直ると、私の両手を取ってギュッと力を込めて握った。


「浮気なんて最低って、怒鳴ってやってもいいのよ。連絡なんて、気が済むまで無視していいの。あいつの彼女は、小夜ちゃんなんだから」

「秋音さん……」


なんだかこの人に言われるとホッとする。
まだなにかが解決したわけではないけれど、少しだけ背筋の伸びる思いがした。


「それじゃあコレは、小夜ちゃんのぶんだけ渡しておくわね」


秋音さんがそう言いながら、可愛らしく装飾された封筒を差し出した。
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