溺愛御曹司に囚われて
そんな状況になっても至って冷静な高瀬に、種本月子は八つ当たりともいえる怒りをぶつけたという。
どうして、自分を愛しているかもよくわからないような女にこだわるのかと。
高瀬はパーティーで彼女に会えば紳士的にエスコートをしたけど、必要以上に触れることはなかったし、自然にくっつこうとする彼女のこともさり気なく牽制していた。
口紅にもメモにもファンデーションにも反応を示さず、高瀬に対してなんの執着もなさそうな彼女を、どうしてそこまで愛せるのかと、高瀬に疑問をぶつけてみたそうだ。
高瀬は優しい目もとに微笑みを浮かべ、笑って答えた。
『ほんと、難しい女だよな。でも俺は、そうやってあいつが唯一甘えられる相手になりたかった。まじめで不器用でめんどくさい女かもしれないけど、そんなあいつがもう十分だって思うくらい甘やかしてやりたいと思った。他の男に、命を削るように恋をしていたあいつを、俺は自分のものにしたくなったんだ』
もちろんその夜、高瀬と種本月子の間にはなにもなかった。
私はすべてを聞き終えると、安心して気が抜けた。
あの記事に書かれていたようにふたりが親密な夜を過ごしたのではないかという想像が、思っていたより私を緊張させていたのだ。
「あのコンクールの記事、良いものにしてくださいね。あのときの演奏が、音楽に向き合うひとりの人間として、今の種本月子のすべてですから」
彼女の気持ちを受け止めて力強くうなずく。
やっぱり、彼女を変えたのは高瀬なんだ。
彼女に対して女としてではなく、ただひとりの未来ある演奏者として接した高瀬の真摯な態度が、彼女に音楽家としての自信を与えている。
彼女は今日もこれからレッスンがあるからと、すぐに社を去って行った。
真正面から音楽に向き合う彼女には、きっと覚悟があるのだろう。
近いうちに、芯のある本当のピアニストになりそうだ。
彼女の存在はちょっと苦い思い出になる気がするけど、それでも必ず彼女の演奏をまた聴きにいこうと思った。