指先3寸
「北川、彼氏いるんだってさー」
「えぇ!?誰情報だよそれ」

喫煙室がないうちの会社では、非常階段で煙をふかす喫煙者たち。その一員である俺は同僚の会話に思わず振り向いた。ビル風は冷たく、吐く息も白い。季節はいつ雪が降ってきてもおかしくない時期へと移り変わっていた。

「お、なになに?ヨネさんも北川に目つけてた?」
「もって何だよ、もって」

俺は鼻で笑うとくわえた煙草に火を着ける。小さな動揺を隠しながら煙を吐き出すと、同僚はそれに気づいた様子もなく話を続けた。

「品川と話してるのたまたま聞こえたんだよ。ほら、アイツ式がそろそろだろ?北川さ、それをすげー羨ましがってて「私も早く結婚したいなー」って。品川が相手いるの?って聞いたらはにかんで頷いてたよ」
「あーあ。北川チャン結構いいと思ってたんだけどなー」
「安心しろ、遠藤。お前じゃ彼女には役不足だ」

まるで学生のようにじゃれ合う同期を横目に、深く煙草を吸い込んだ。くゆる煙が頭上を覆うのっぺりとした天上につく前に消えていくのを見て、何故か閉塞感を覚える。短くなった煙草を消すと、俺は先に所に戻る事にした。少しだけネクタイを緩めて、かじかんだ手を擦りながらドアを開けた。

(緑茶か?)

入った瞬間に鼻に届いた優しい香りに、俺は目を細める。いつの間にか胸のつかえが取れたことにも気づかず、ポットに向き合っている背中に声をかけてみた。

「北川ァ、俺にもいれてよ」
「へっ!?」

びくり、と横に吹き出しで文字が見えそうな程肩を揺らして振り返る彼女。けれど直ぐに微笑むと、返事をして彼女は湯呑を俺のデスクに置く。

「早いね。いいの?先にもらっちゃって」
「あっ。えっと、その……」

少し振り向いてポットの横に視線を移せば、俺ら同期の人数分の湯呑が置いてあった。

「寒いですよねー、今日」

はにかむ様に笑うと、彼女は続々と寒さに体を萎ませながら帰ってくる奴らのためにお茶をいれはじめる。

「おぉ、喫煙者に容赦ないよ、風」

聞こえているかいないかも分からない相槌を打ちながら冷めないうちに頂く事にした緑茶を啜り、おいおいマジかよと自分に問いかける。

駄目だわ俺。こういうの弱いんだって。

北川、彼氏いるんだってさー。
ヨネさんも北川に目つけてた?

頭の中でリプレイされる同僚の会話。飲み終わった湯呑を持って流し台に行くと、彼女が急須を洗っていた所だった。わざと音を立てて横に湯呑を置くと、先程と同じくらい驚いてこちらを見上げた彼女と目が合った。
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