ファントム・アンド・ローレライ

訳ありのふたり

「お名前は?」

「カンバラカナデ、だ」

「カン、バラ、カナデ。なんだか噛みそうな名前ですね。神様の神に、原っぱの原?」

「そう。それに音楽を奏でる、の奏」

「失礼ですが、おいくつですか?」

「多分、29……だと思う」

「ご自分の年齢なのに、えらいまた曖昧ですね?」

「見間違いじゃなければ、記憶が1年、飛んでいるから」



「…………はい?」



 スマホをいじりながら質問を繰り返していた響子は、画面から目を離して男の方を振り向き、街灯に照らされるゴムマスクを見て後悔した。そうだこの人、不審者ルックなんだった。声だけ聞くと本当にイケメンボイスなんだけど。すっかり暗くなった夜道で見ると、いっそう不気味に見えてくる。

 それでも通報もせず、放り出しもしない理由は、響子個人の都合がひとつ。そして神原奏と名乗る男にほだされたのがひとつだろう。だってイケメンボイスに罪はない。響子は耳に心地よい音をこよなく愛しているのだ。おそらく他人から見たら病的なほどに。

 そんな響子でも、さすがに今の発言は聞き流せなかった。

「記憶が、1年?」

「さっき、携帯の画面がちらっと見えて……携帯の日付が、ずれてないなら、多分」

 改めて響子はスマホの画面に視線をもどす。ボタンを押せば日付と時間が表示される。西暦から確かめるように響子が口に出すと、「やっぱり」と神原が呟いた。

「ちょうど1年くらい前から、何をしてたのか分からない」

「え、ええー……もうちょっと驚きましょうよ、そこは。こっちがびっくりしますよ」

「画面を見たとき、十分驚いた。……それに、君の方こそ、なんというか……」

「いや、これでも驚いてんですよ?」

 全然動揺しているように見えないらしいが。大学の友人からいつも言われるので、そのことばにももう慣れた。「響子って、ぜんぜん驚いたり、困ったりってないよねェ」。そんなことは全くないし、むしろビビりの部類だと響子自身は思っているのだけど、顔と態度に出ないんじゃ仕方ない。そう思えるまで結構時間がかかったりもしたが、今はそんなことどうでもいい。

「あー……なんかすっごい、想像以上の訳あり案件を引っかけた気がする。博士に連絡して良かったわー……」

「いや、本当、すまないというか……ハカセ?」

「私の主治医みたいな人です。訳あり案件に慣れてる人なんで、何言ってもひとまず大丈夫ですよ」

「慣れてるって……それに連絡なんていつ」

「さっきスマホでちゃちゃっとですね。さて、うちに着いたらもう少し状況把握をして、そっからどうするか考えましょう」

「……その、なんでそこまで……」

「まあ、私もちょっとした訳ありでして。博士と知り合ったのもその辺の事情がきっかけなんですけどねー。……まあ、ちょっとしたスリアワセをさせて貰えると、こっちも有り難いなーというのがありまして」

 ぶっちゃけた話、神原が響子を押し倒した――正確には押し倒させたことを口外しないでくれれば、響子はあまり困らない。が、この気の弱そうな男がどこでどうぽろっとこぼしてしまうか少々不安があった。不安の芽は早々に摘み取ってしまうに限る。

「あとはまあ、神原さんがイケメンボイスだからですかね」

「は?」

「ナンパみたいなもんですよ。……さて、着きましたよ。ここが私の家です」

 ポケットから玄関の鍵を取り出しながら、響子はへらりと笑ってみせた。

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