ごめんね、ボクのカラダ
入院
10月18日、大学病院へ入院。CT撮影、採血、栄養師のカウセリング、食事制限、麻酔医のランディング、執刀医オペ内容の説明、セカンドオピニオンするか否か等々、結構忙しい。
オペ当日裕樹は謝った。
『ごめんな、何回も傷つけて。これで最後にしような。』
自分の体にである。
5時間に及ぶオペは無事終った。同時に無理やり起された。まだ直後のオペ室だった。全麻の為、術中は呼吸が止まっていて管が挿管されていた。目が覚めた瞬間から気持ち悪かった。
「早乙女さん、終りましたよ。」
「あ゛い゛、あり゛がど゛うございます。」
声がちゃんと出ない。苦しかった。無駄な抵抗は辞めた。病人らしく目を閉じた。
やがて年が明け、時は2月。入院した時は半袖だったが、木々には葉がない真冬の退院となった。まだ完治したわけではないが、日常生活へ戻ってどの様な経過を辿るかみないとここから先は分らないから一度退院と言う事になった。七つ違いの弟が迎えにきてくれた。約4ヶ月ぶりの我家である。母は居なかった。昨年父が亡くなってから母はさらに活動的になった。パワーアップしたのである。困ったもんだ。
オペ当日裕樹は謝った。
『ごめんな、何回も傷つけて。これで最後にしような。』
自分の体にである。
5時間に及ぶオペは無事終った。同時に無理やり起された。まだ直後のオペ室だった。全麻の為、術中は呼吸が止まっていて管が挿管されていた。目が覚めた瞬間から気持ち悪かった。
「早乙女さん、終りましたよ。」
「あ゛い゛、あり゛がど゛うございます。」
声がちゃんと出ない。苦しかった。無駄な抵抗は辞めた。病人らしく目を閉じた。
やがて年が明け、時は2月。入院した時は半袖だったが、木々には葉がない真冬の退院となった。まだ完治したわけではないが、日常生活へ戻ってどの様な経過を辿るかみないとここから先は分らないから一度退院と言う事になった。七つ違いの弟が迎えにきてくれた。約4ヶ月ぶりの我家である。母は居なかった。昨年父が亡くなってから母はさらに活動的になった。パワーアップしたのである。困ったもんだ。