学芸員の憂鬱
「ううっ…頭痛い…」
そろそろ昼を迎えようとする修復室で宮司との面会の準備をする雨衣がタブレットを見ながら目を瞬かせる。
「…私もです…」
いつもより青白い顔で机に向かう侘助もこめかみを押さえ天井を見上げ答える。
原因は昨日。
一旦、美術館を出た雨衣が、急ぎ足で戻った修復室には残業を決めた侘助が居た。
「忘れ物ですか?」
「私…分かったんです!」
「…何が?」
修復依頼の品に向かう侘助を有無を言わさず夜の街に連れ出していた。
「だから…聞いて下さいよ…侘助さん!私…多分、尽君の事を本人以外から聞いた事に納得が行かないんですよ!!」
「聞いてます…むしろ…私以外の人にも聞こえてます…」
表情はいつもと変わらないが、雨衣と同じピッチでグラスを煽る。
「すみません…あまり…覚えて無いんですけど…かなり飲んだんでしょうね…」
像を布に包みながら雨衣が笑う。
「でしょうね…」
「侘助さんも覚えて無いんですか?あの…私…愚痴ってましたか?」
「ええ…まぁ…今日は一人で行かれるんですか?」
「そうです…行って来ます」
神社までの坂を照らす太陽が眩しさとアスファルトの照り返しを作る。
(眩しい…)
俗に言う二日酔いの症状を、初めて経験した雨衣が鳥居を見上げると、その手前の馬房から神馬が顔を出す。
「今日は私一人なんだよ…」
恐る恐る神馬に手を伸ばすと暖かく、柔らかい鼻先を雨衣の掌に当てる。
そのまま鳥居を潜り抜け、社務所へ向かうと畝が出迎えてくれ、謁見室に通された。
「…どうするんです?入るんですか?」
溜め息をついた侘助が立ち上がり、少しだけ苛立った声でドアを開けると、そこには尽の姿があった。
「はい…失礼します…」
侘助の脇をすり抜けて尽が修復室に入る。
「巡さんなら…まぁ…言わなくても分かりますか…しかし…」
尽の顔を見ながら眉間にシワを寄せる。
「侘助さん…なんか弱ってます?」
「…二日酔いです…巡さんと飲みに行って…色々聞かされました…」
「色々?」
「そうです。なので…尽君の愚痴まで聞く余裕はありません」
作業中の机に戻り筆を手に取る。
「侘助さん…」
「なんです?私を介さずに、お互いに愚痴りあって下さい…パートナーなら、プライベートな話もするべきです。ほら…仕事が進みませんから」
「ありがとうございます…行って来ます」
振り返らずに尽は修復室を出る。
そこには尽の閉めたドアの強い音に、眉間にシワを寄せた侘助だけが残った。