キヲクの片隅

「どうして泣いてるの?」

「僕にもよくわからないんだ」

「悲しいことがあったの?」

「何もないよ。自然に涙が出てきたんだ。はは…、どうしてだろうね」

「泣きたい時はおもいっきり泣くのがいいよ」

「さすがに大泣きはできないかな」

「どうして?」

「もういい年だしね。それに男だし」

「今は私しかいないよ」

「うん」

「泣いてもいいよ。私が全部、受け止めるから」

風がまた吹き、彼女は流れた髪をかき上げる。
そしてまた目を細めた。


一瞬、時が止まった気がした。


僕は知ってる。
この声と、この優しさ。

どこかへきっと忘れてきている。

こんなにもこんなにも
あたたかくて安心するのに。

わからない。
思いだせない。

けれど涙は溢れて止まらない。

どこへ置いてきてしまったんだ。
どこへ消えてしまったんだ。

記憶のピースさえ無い。
思い出したくてもパズルは完成しない。

記憶を紡ぐことさえできない。

こんなにも取り戻したい気持ちでいっぱいなのに。
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